戦国コレクション 第7話 芭蕉回を読み解く 〜月,花,俳句が象徴するモノ〜

戦国コレクション第7話 芭蕉回が超絶に面白かったので頑張って演出意図を読み取ってみた.

はじめに

後藤圭二監督つーことで,警戒していたアニメだったんだが,5話以降結構面白い.
1〜4話まで後藤圭二がコンテやってて面白くない感じだった.
にも関わらず,第7話は後藤圭二コンテ回なのにスゲ〜面白い.
ショックを受けすぎて,見まくってたら,なんとなく演出意図がわかってきたのでメモる.

「月」 覚醒したときに背負う月

この回は,満月が象徴的に使われていた.
それが,覚醒したとき…キャラクターが今までの自分を吹っ切れた時に一緒の画面に映るモノとして使われていた.

画家,オカマ,店主の覚醒のときに月と一緒に映る・月を背負う.検証したが,彼らが覚醒前に月と一緒に映るカットはない.徹底的に月と一緒に映さない.
例えば,画家が夢を諦めていることを示すシーンでは,月が見えるはずの窓が閉じられている(左図).

ということは,月を背負う=過去の自分から解き放たれる.ということを意味しているように思える.
で,芭蕉が月と一緒に写ったのは,ホテルに来て,
「あばら屋に 降り注ぐ月 かわりなく」
という句を読んだ時が初.

後述するが,芭蕉が過去から解き放たれて,今を楽しもうと決めたのはここからだと思われる.

「海暮れて 鴨の声 ほのかに白し」

「蝙蝠も 出でよ浮世の 華に鳥」

実は,このシーン以外で,実際の芭蕉が読んだ句は使われていない.(私が調べた限りではたぶん)
「海暮れて 鴨の声 ほのかに白し」を読んだ時は,まだ過去にとらわれている.(まだ芭蕉が,「現代」を好きになってない)
「蝙蝠も 出でよ浮世の 華に鳥」を読んだ時は,過去が追いかけてきたとき.(織田信長がきた)
という感じで,実際の芭蕉が詠んだ句=過去にとらわれている芭蕉を意味しているとおもわれる.
で,この使い分けは,上述した「月」の演出と符合する.

  • 生前の句を読む(海暮れて…)→月を背負う(以降生前の句は使用されない)→信長登場(過去が起きかけてくる)・生前の句を読む(蝙蝠も…)

芭蕉=関わった人を変えるモノ」ではなく,芭蕉も変わっている

一見してみると,この回は,芭蕉という外部・変化をもたらす者が入ってくることによって,オカマ・画家・店主が変化していく物語に見えるが,実は違う.
月,俳句の演出を踏まえると,さいはてカフェに来たことによって,芭蕉も変わったと見るのが打倒である


アバンのこのカットの流れで表しているのは,紫陽花・鳥居・電車のある風景を見ても,芭蕉は現代が「げにおもしろき」とならなかった.(心はまだ過去にある)
で,さいはてカフェに流れ着いてようやく現代を楽しむことができるようになった……という話だったんじゃないのかな?

花,貯水タンクが象徴するもの

まぁ花は分かりやすいよね.
最初,芭蕉だけが前を見てるから,1輪咲いている.(さいはてカフェに来て,月を背負うことで覚醒→1輪咲いている)
で,店主・ダンサー・画家が少しずつ変わってくると,咲きかけの花が3つ登場.


では,貯水タンクは何なのか?
最初っから,この回は貯水タンクが象徴している.(やたらと貯水タンクが映るから)

で,無理やり考えると,夢敗れたモノが集う場所(流れ着く場所・留まる場所)・そして,いつかは流れていくモノ(前を向いて,進んでいくもの)っていう象徴なんじゃねーのかな?
つまり,貯水タンク=さいはてカフェそのものを指している……のかなぁ〜

「水」

一時的に貯水タンクにたまるけど,流れていくもの(前に進むもの)
「小さき花 水を得てなお 生きんとす」

「さぁお飲み 育て育て 元気よく」

花を育むもの.
たぶん,そーいったものの象徴。