「アイドル(アイマス)」ではない「スクールアイドル」を発見する物語〜ラブライブ!The School Idol Movie〜

いい加減、前回(ラブライブ!The School Idol Movieの狂気〜嘘が現実を乗り越える物語〜 - WebLab.ota)で取りこぼした内容について書いたりしよう。

何故彼女たちはスクールアイドルに拘ったのか?

アイドルはなぜ魅力的なのか? あるいは、劇場版『ラブライブ!』はなぜ失敗作なのか。: \(^ω^\Ξ/^ω^)/
あのお祭りでは、「スクールアイドル」がキーワードになっていた。しかし今までの『ラブライブ!』で、「スクールアイドルはいかにあるべきか」とか「スクールアイドルの未来」とかいったことが主題になったことは一度もない。穂乃果たちは、今まで他の(A-RISE以外の)スクールアイドルのことなんかちっとも考えてこなかったのである。最後の最後になっていきなり《スクールアイドルという問題》を提示されても、あまりにも唐突だと言わざるをえない。

まずここからスタートである。
確かに唐突なように感じる。確かに今まで彼女たちはほとんど「スクールアイドル」なんか意識していなかった。


「学校が大好きで」「音楽が大好きで」「アイドルが大好きで」「踊るのが大好きで」「メンバーが大好きで」「この毎日が大好きで」「がんばるのが大好きで」「歌うことが大好きで」「μ'sが大好きだったから」
(ラブライブ!2期9話)

ほら、こんな感じでスクールアイドルなんか意識してない。

スクールアイドルの定義

にも関わらず、何故か彼女たちは「スクールアイドル」に拘った。
つか、そもそもスクールアイドルとは何か?

ラブライブ! - Wikipedia
テレビアニメ版においては、学校生活を送りながら、アマチュアで活動するアイドルのことを指す。

wikiにはこうあるが、劇場版で穂乃果は以下のように述べている。

「限られた時間の中で精一杯輝こうとするスクールアイドルが好き」

そしてこの言葉を完遂するためにμ'sは解散するに至る。
穂乃果たちの中では、「限られた時間の中で精一杯輝き、そして散るもの」がスクールアイドルの定義になっている。
そして、このスクールアイドル像は、学生(高校生)で無くなったあともアイドルを続けるという選択をしたA-RISEの対極にある。

この辺のやり取りは、「お前ら(A-RISE)、マジソウルがスクールアイドルじぇねーYO!」ってディスってる。

A-RISE(アイドル)とμ's(スクールアイドル)

思い返せば、A-RISEとμ'sは事あるごとに対立している。
1期はただのライバルとしてだったが、2期は

ラブライブ!と10人目のμ'sというテーマ - WebLab.ota

A-RISE「ステークホルダーとしての観客を忘れてるわよ(キリッ)」

(中略)

ラブライブ!二期は何を語り出すのか - WebLab.ota
「この9人でラブライブ!に出られるのは今回しかないのよ」(絵里)
「9人で頑張った足跡を残したい」(花陽)
「だって可能性感じたんだ そうだ進め 後悔したくない 目の前に 僕らの道がある」(μ's)

こんな感じで穂乃果たちは、μ'sのことしか考えてない。
(中略)
で、こんなμ'sに対して、二期3話でA-RISEが「私達はただ純粋に今この時一番お客さんを喜ばせる存在でありたい、ただそれだけ。」と宣戦布告。

もしドラでも、確か、「そうか、観客もステークホルダーだ!」って気づくシーンがあったと記憶しているが、このシーンはまさにそれ。

ってな感じで、A-RISEはμ'sと全然違うところを見ていた。
で、μ'sはファンのために続けようか?3年生卒業したらどうしようか?って迷うけど、結局

にこ「あたしがどんな思いでスクールアイドルをやって来たかわかるでしょ?3年生になって諦めかけてた。それがこんな奇跡に巡り会えたのよ?こんな素晴らしいアイドルに、仲間に巡り会えたのよ?終わっちゃったら二度と」
真姫「だから、アイドルは続けるわよ。絶対約束する。何が合っても続けるわよ。でもμ'sは私達だけのものにしたい。にこちゃん達が居ないμ'sなんて嫌なの。私が嫌なの!」
(中略)
絵里「そうね、今日あの場所で海を見たのは私達9人だけ。この駅で今こうしているのも私達9人だけ」

(ラブライブ!2期11話)

ってな感じでファンとかそっちのけで、9人のことしか見てない。
2期は全体通して劇場版の布石的な台詞多くて今見ると超カッコイイ。”アイドル”って言葉を拾うだけで濡れる。花田十輝まじキレキレ。

スクールアイドル(アイドルでないもの)

A-RISEがアイドル(μ'sにとってスクールアイドルでないもの)を象徴として描かれているように、
μ'sがアイドルでないもの(μ'sの中のスクールアイドル)として描かれているシーンは1期にも出てくる。


絵里:「ラブライブ!には出場しません。」
穂乃果:「え?」
絵里:「理事長にも言われたの、無理したんじゃないかって、こういう結果を招くために、アイドル活動をしていたのかって。それでみんなで相談してエントリーを辞めたの。もうランキングにμ'sの名前は、無いわ」
(ラブライブ!1期12話)

例えばこれ。「過労でリーダー倒れる。→ライブ中止→ラブライブ!出場取りやめ」の流れ。
ラブライブ!1期見てた時はそんなに違和感無かったけど、アイドルマスター シンデレラガールズ13話を見て考えを改めた。

これはほとんど先と同じだけど違う、「過労でリーダー倒れる→ライブは代役で続行→ライブ大成功」の流れ。
さすがのプロですね。ラブライブ!なんて小娘に較べて、このプロ根性。一人ぐらい欠けたって突き進む。さすがです。これ見た後でこんなツイートをした。

ろくさん on Twitter: "デレマスを見ていて気づいた。普通この流れだよね。ラブライブ!がおかしかったんだ。一人リタイア→残りのメンツでステージへ行くデレマス。一人リタイア→ステージ行くのやめるラブライブ!。「9人でミューズ」という個と、「個々ののシンデレラの集団」という根本、出自の違いによって結論が違う。"
デレマスを見ていて気づいた。普通この流れだよね。ラブライブ!がおかしかったんだ。一人リタイア→残りのメンツでステージへ行くデレマス。一人リタイア→ステージ行くのやめるラブライブ!。「9人でミューズ」という個と、「個々ののシンデレラの集団」という根本、出自の違いによって結論が違う。

けいおん!12話でもこれと同じようなことやってた。

一人舞台から降りざる得なくなり、一人欠けた状態で舞台にあがり、曲の最後に舞台上に集結する。
BECKでもそんなのがあった。

つか、本当に普通の物語なら、シンデレラガールズなり、けいおん!なり、BECKなりの流れになるはずなのだ。
にも関わらず、μ'sはあえてファンを見放す。あえて盛り上がる物語構造を投げ出す。
私はこれが意図的に見える。

反アイドル・反物語

アイドルとして魅力的か?物語として美しいか?
そーゆー価値観で見たらたぶんラブライブ!は評価するべきところは無いだろう。

ラブライブ12話:私は何故花田十輝を信じられなかったのか? - WebLab.ota
問:花田十輝的展開を、ラブライブ12話を見る直前、まったく予想できなかったのは何故なのか?
答:まさか花田十輝が、花田十輝らしさを完全に取り戻すとは思っていませんでした。


これも大きな敗因の一つだ。
けいおん!シュタインズ・ゲート海月姫レベルE、日常……そういった花田十輝らしさが感じられない作品ばかり作っていたので
彼のロック魂が死んでしまったんだという思い込みがあった。
そう、つまり、彼の才能を信じていなかったのである。信じきれていなかったのである。
私は花田十輝が好きだし、尊敬している。しかし、その愛はこの程度だったのである。
それがわかってしまった。なんて罪深きラブライブ12話。12話さえ居なければ、私は花田十輝を信じていると思い込んで要られたのに……

と以前書いたことがあるが、結局そういうことだよ。
既存のアイドル?既存の物語?
そんなものどうだっていいんだよ。
新しい価値観、新しい物語、新しいモノが生まれる瞬間。それを感じ、それを楽しむんだよ。ロック!ロック!ロック!
ラブライブ!ってコンテンツは!!ロックなんだよ!!


確かに、見覚えがある設定、既視感のある物語(アイマス的な、そしてAKB的な)が目につくが、それでも新しい一歩を歩む物語なんだよ。このコンテンツは。

次のステージへ!

μ'sの物語は、スクールアイドルを、「限られた時間の中で精一杯輝き、そして散るもの」として捉えるまでの道のりの物語であった。
唐突に思えるスクールアイドル論も彼女たちの生き様が語ってくれている。
この結論に至るまでの彼女たちの成長を描き、葛藤を語り、辿り着く物語であった。


では、次のラブライブ! サンシャイン!!は何を語るのだろうか。
アンチアイドルとして極北に至ったμ's(ファン度外視でドメスティックな物語)に対して、”アイドル(ファンを重視する物語)”に回帰する物語になるのだろうか?
(μ'sに憧れた女の子たちが、μ'sと対極に至る物語)
それとも、全く別のスクールアイドルの定義を見つける物語になるのだろうか?
※ μ'sは「限られた時間の中で精一杯輝き、そして散るもの」としてスクールアイドルを定義したが、A-RISEはそうでないし、他のスクールアイドルたちもμ'sに同意する……という話ではなかったので、「アイドルではない、スクールアイドル」という定義の形は無数にあると考えられる。もちろん、アイドル=スクールアイドルという定義も見捨てていないところが味噌


いやーこれからが実に楽しみだ。

補足:アイドルマスター(個の集団)とμ's(9人で個)の違い



13話の見せ場の曲。
何を見せたいか?が全然違うのがわかると思う。
1人1人がソロでも通用する踊りを踊るのがアイマス。(これは出自がゲームなのに由来するのか)
9人でなければ成立しない踊りを踊るのがμ's。