桃華月憚 能登麻美子脚本回が凄過ぎるよ?

遅ればせながら,桃華月憚(アニメ)を見ている.というのも,このアニメは逆再生で放送されたので*1,今までは見るのをぐっと我慢していたのだが,全部放送されたのでやっと時系列で見ている.
(ちょっと感動しちゃって力が入りすぎたためか,長文になってしまった.)


桃華月憚を知らない人,見ていない人のために多少説明するが,桃華月憚は所謂”メタ的構造”を持った作品である.(個人的に桃華月憚程度のメタ的構造はアリキタリ過ぎるので好きにはなれないが)

メタ的構造

今回注目するメタ的構造は,登場キャラクターが「自分が作られた存在なのではないか?」や「物語の中の一キャラクターに過ぎないのではないか?」といったことに気づき始めるといったものだ.

普通の物語は”作者の存在”に気づかない.が,メタ的構造を持った物語は『涼宮ハルヒの憂鬱』のように「ハルヒによって自分たちは創造されたのではないだろうか?」や『プリンセス・チュチュ』のように「自分たちは絵本の中の登場人物なのではないだろうか?」や,果ては,実際の作者自身といった”上位の存在”を作品の登場人物たちが意識することになる.
次いで,その”気づき”がきっかけで,『自分は何故生まれてきたのだろうか?』や『自分の生まれてきた意味や自分の物語内で与えられた役目は?』や『自分の本当の気持ちは?…この気持ちは上位の存在によって与えられた偽りの気持ちなのではなかろうか?』といった悩みを抱えることとなる.

そして,この悩みは実世界で私たちが感じる『自分は何故生まれてきたのだろうか?』,『自分は何をすればよいのだろうか?』,『自分の本当にしたいことは?』といった悩みと同等の質を持ちやすかったり,私たちが感じる悩みにシンクロしてきたりする.(メタ的構造を安易に使う人々はこのカンフル効果に期待しているのだろう)

桃華月憚

桃華月憚は上述したが,このメタ的構造を持った作品である.
そして,今回注目するのは,能登麻美子が脚本したのは第21話 「園」という回なのだが,この話は特に綺麗にできていた.(正直本家の脚本家よりうまいと思ってしまったw)


この回は桃花(ももか)というキャラクターがメインのお話で,モノローグだらけ,つまり内面を語りまくるという脚本だった.(この辺もメタ的構造をうまく使えた理由だろう)
(この桃花は「物語が始まる前の記憶が無く」そして「自分が上位の存在に創られた,ということに気づき始めている」.また,そのことに不安を感じているという…素晴らしくメタ的性能に優れたキャラクターである.)

内容の解説


先ずOPがいきなり白黒……というより今回の話は全体通して白黒だった.(後述するが,このモノクロの演出もストーリに絡んでくる.)
そしてOPが終了すると同時に桃花のモノローグが入る.

(OP終了)
いやだ…まただ.怖い.何だろうこの気持ち……この不安.
私は私を思い出せない.すべての輪郭が曖昧で,自分が誰なのかわからなくなる.まるで今見た夢…
いやだ…怖い.私は誰?私は何?私は桃花…
(サブタイトル)

これはもう完全に,上記で説明した”メタ的構造”をテーマとしたお話になりますよ,という宣言である.


サブタイトル終了後,近くの原っぱ(蟠桃園)が昔は桃園であったこと,今でも月夜の晩にその桃園が現れるという噂が語られる.そしてその桃園が”現れていない”原っぱに一人さびしく佇む桃花が,もちろんモノクロで描写される.そこでも,相変わらず不安を抱える桃花の心理が語られる.

私はだあれ?私は誰?

そこへ主人公,桃香(とうか)が現れる.そして,桃花は桃香に自分の不安な気持ちを打ち明ける.

時々不安になるんだ.私って誰なんだろうって.ここにいる自分すら,いるのか,いないのか,わからなくなるような…
(中略)
何かにすがりたくなっちゃうんだよね.ここに居るんだって思いたくて,実感したくて…
記憶がはっきりすれば,この不安はなくなるのかな?ちゃんと私はここにいるんだって,いつでも思えるようになるのかな…

という桃花の解決すべき問題と「どうなれば解決できるのか?」といったことが提示される.ここに至るまで,OPあわせて開始6分…タイミング的には申し分ない.


そして,夜薄手な格好で来た桃花に,桃香上着を貸すイベントが発生する.
桃花はその上着から甘い香りがすると言い出す.(ここでは明言されないが,当然”桃の香り”であることは間違いない.)そして,このにおいが”桃香のにおい”であるといって,桃香に顔を近づけにおいを嗅ぐといった恥ずかしい行為をする…のだが
この行為は気づいてない人もいるかもしれないが,桃香が,桃花から不安を取り除く”蟠桃(食べると不老不死になる桃)”としての役割を担ってゆくことの宣言である.
この儀式の後は,桃花は桃香のことばかり考えるようになる.(”においを嗅ぐ”という行為は”食べる”という行為を示しているのだろう)

あれからずっと,桃香ちゃんを目で追ってしまう.どうしてだろう.気になって仕方が無い.
気づいたら桃香ちゃんのことばかり考えてる.綺麗な桃香ちゃん…

しかし,桃香のことを単純に思い続ける…という行為が救いにならないよ,というエクスキューズが直に入る.
桃香が違う女に言い寄られているのを目撃し,桃香に対して違和感を覚える.)

いやだ…何この気持ち.桃香ちゃんに触れてほしくない…何でこんなに苦しいの?どうしてこんな気持ちになるの?わかんないよっ!

これが13分弱.
そしてこの後,桃香とは別の救いの可能性を見ることとなる.結論から言えば”過去”がそれである.
由美子(桃香の母親)が自分の過去を桃花たちに聞かせるのだ.

由美子:「これはすべてお母様のもの.お母様のお部屋には綺麗なものがたくさんあったわ〜.由美子にとってそこは夢の世界だった.内緒でこっそり纏ったりしたの.」

このときのシーンが上の図で,今までずっとモノクロだったが,初めて色が入ってくる.
つまり,桃花にとって”不安で仕方が無く,とても信用できない今”は白黒で,”確固たる思い出”,過去には色が入ってくるのである.

しかし,”過去”は救いでなかったことが解る*2.それが絵として現れるのは,上の図にあるように,女の証である”紅”や”イアリング”にも色が入っているところにある.
無意識に桃花は,”過去”だけでなく,女としての象徴的な部分(コレを後に恋や愛として自覚する)にも,自分の不安を取り除いてくれる可能性を見出しているわけである.これは深読みではなく,演出意図として間違いない.
そしてこの後,自分の気持ちを自覚する.

桃花:「その人はただ黙って聞いてくれました.心が軽くなったんです.救われました.それから,その人のことを考えてばかりで…あの…」
寧々:「桃花ちゃんは,その人のことが好きなのね?」
桃花:「好き!?私が…?」
寧々:「ええ,きっとかつての不安が入り込む余地が無いくらい,今はその人のことで心がいっぱいなんじゃないですか?(中略)誰かを好きになることは,何よりも自分自身を感じさせてくれます.自分で自分を忘れるくらいに,生きている今を教えてくれます.(中略)大切なのは今このときです.後でも先でもありません.」

ここで19分.(もう,丁寧過ぎる.どこまで説明してしまうのだろうか?親切すぎて吹き出しそうになるけれどw)


そしてこの後桃花は桃香によって,あの原っぱに連れて来られる.そこは夕焼けにより,一面桃色に色づいた原っぱになっていた.(この時から画面が,人物も含めてモノクロではなくなる.モノクロの太陽が夕日になった瞬間,色が付き始めた…のは桃花が生まれ変わった(意識が変わった)ことの隠喩だろう)

そこで桃花は桃園(桃源郷)の幻覚を見る.つまり悩みの無い世界の中に,今までモノクロだった自分にも色が入った状態で桃香によって誘われるわけである.

私が誰なのか,何なのか,いつまで時間が残されているのか,それは解らない.
でも,今,こんなにも暖かい光の中で桃香ちゃんと一緒にいる…この時間は本物だ.私は確かにここにいる.
生きている.今この瞬間に…それがすべてだ.それだけで十分だ.
(中略)
そういって私の涙を拭ってくれた桃香ちゃんからは,変わらない,甘い香りがしました.

で,エンディング……

どうだろう?恐ろしく纏まっているように感じるのは私だけだろうか?能登麻美子と月憚のスタッフすげぇww

話の節目をキッチリ6分程度の間隔で出してきて

現状認識,問題提起,問題の解決策の提示

問題解決の可能性1(想う心)

問題解決の可能性2(過去)

決意・自覚(問題解決)

解説したように色の演出も絶妙で…素晴らしい.
確かに,あまりに親切すぎるし,くど過ぎで,ベタベタだけれど,『ヒロインが主人公に恋心を抱く(自覚する)』という重要なストーリを,メタ的構造を持った作品の特性を十分に使って表現しつくした(色による演出もメタレベルの演出だということにも注目してほしい),素晴らしい話だったと思う.

*1:『桃華月憚』の逆再生と物語構成について - tukinohaの絶対ブログ領域

*2:もちろん桃花には過去なんて無いのだけれど