ロングテールで考えるオタクたち

「インターネットと親和性の強いオタクたちもやはりロングテールの影響下にあるのではなかろうか?」という考えをここに書きます。

ロングテールについて説明するのは面倒なのでwikiを参照してください(ロングテール - Wikipedia)。何故オタクがインターネットと親和性が高いといわれるのかについても、面倒ですので『動物化するポストモダン』とかを読んでください。この記事はたぶん親和性が高いことを前提に話します。


近年やたらと発売されるエロゲーや、やたらと放送されるアニメ、やたらめったら発売される漫画・同人誌・ライトノベル・エトセトラエトセトラ。高度消費社会だからといってこの数は異常ではなかろうか?特に「何でこんなもんが売れてるんだ?(もしくは話題になっているんだ?)」とか思う作品が多々ある。それはもう数多く存在する。

この疑問は評論家たちによって、いろいろな角度から議論が行われている。例えば、キャラクター小説としての自覚が無いだの、データベースを利用した作品作りで、同じような作品が多く作られるだの、ポストモダン、物語消費・消滅…まぁいろいろと語られている。しかしそのどれもスッキリしないのが私の感想である。


そこで私も提案してみよう。現在オタク市場の話題を独占している有象無象はロングテール現象により浮上してきた負け犬」なのではなかろうか?と
つまり本来は埋もれるはずの表現であり、作品が、ロングテール現象の影響を多大に受けているオタク市場では浮上して見えてしまうのではなかろうかと思っている。
例えば、エロゲなどで話題になった作品は、既存の市場であれば、淘汰され、完全な”負け犬”になったはずである。しかし、ブログやHPや某巨大掲示板などのインターネットを使いこなせる”彼ら”によって、瞬く間に彼らのネットワークに広がり、その情報が非常に気前のよいオタクたちの元に入り、購入される。このロングテール現象が彼らの市場を保障しているのではないか?と考えているのである。(アマゾン・コムでロングテール現象が注目される前から、彼らは独自にネットワークを構築し、ロングテール現象を実現していたのである)

「アマゾンの売り上げの半分(実際には3分の1)は13万位以下のロングテールによって生み出されている」というのがアマゾンによって引き起こされたロングテール現象である。これにより本来埋もれて”誰にも読まれることの無かった作品”が”一冊売れた本”に変わる。そしてこの塵が積もり積もって利益になる。これがロングテール現象の醍醐味だ。


エロゲでいうロングテール現象というのは、ゲームという枠組みの中では確実にロングテールの負け犬の並びに鎮座し、埋もれるしかないエロゲーが、インターネットを通じ、オタクたちに知られ救われる…という状態を指している。

しかし、アマゾンが世界中の人々という規模でこのロングテール現象を実現したのに対し、オタクたちは数十万人の規模で、このロングテール現象を実現しているのである。おそらく”購買意欲が盛ん”でかつ”情報のアンテナが広く”、”自己顕示欲が強烈”な人間で構成されているから実現できた特殊な事例だろう。


ここからさらに議論が飛躍するが、既存の”面白い”だの”有名作品”だのという言葉の意味そのものが、ロングテール現象に支配されたオタク市場には通用しないのではないか?と思っている。要は、今までの”面白い”だの”有名”だのという言葉は産業革命後の言葉であり、感じ方であり、価値観である。しかし彼らの世界での”面白い”や”有名”は情報革命後、パラダイムシフトが起こった後の言葉であり、感じ方であるのではなかろうかと…(パラダイムシフト - Wikipedia


この意見は、受け取られる方たちによっては「上の世代の僻み」や「おじさんの意見」等と思われるかもしれないが、私はかなりの回数彼らにアプローチをかけたつもりだし、価値観を共有しようと幾度となく歩み寄りを繰り返したが、ついに解り合えなかった訳で、そう一蹴されると悲しくて仕方が無い。これは彼らの作品が本当に面白くないと感じ、またそれを面白がって消費している彼ら自身について、全く理解できない筆者が、たどり着いた結論である。(ははは!パラダイムシフトが起こった後の考え方なんて解る訳なかったんだな!



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