ラブライブ!と10人目のμ'sというテーマ

一期3話(1stライブ)とは違う物語を語るんだ!と明言してきたラブライブ!二期3話。


この「一期と違う物語を語る」って意思表示は、ラブライブ!1期のころからちょいちょい使ってきてた「もしドラ」なんかで持て囃されたマネジメント理論とかリーダシップ論的なものからも読み取れると思っている。
二期3話でもそーゆー香りがするよねってことで、その辺について書く。

A-RISE「ステークホルダーとしての観客を忘れてるわよ(キリッ)」

ラブライブ!二期は何を語り出すのか - WebLab.ota
一期では、(1) 「廃校を食い止めるため」の手段として集団(組織)を創り、 (2) 目標を失った後、何を根拠とした集団(組織)であるか?を明確にした(アイドルを続けたい集団(組織)という定義)。
二期では、(3) アイドルを続けたい集団(組織)を、集団(組織)として維持するための目標(9人で残せる最高の結果を目指す事)を決定した。

と書いたけど、「組織を組織として維持するための目標」を二期1話の段階では

ラブライブ!二期は何を語り出すのか - WebLab.ota
「この9人でラブライブ!に出られるのは今回しかないのよ」(絵里)
「9人で頑張った足跡を残したい」(花陽)
「だって可能性感じたんだ そうだ進め 後悔したくない 目の前に 僕らの道がある」(μ's)

こんな感じで穂乃果たちは、μ'sのことしか考えてない。


二期2話でもμ'sのことしか考えてないことを強調している。

「まったく、こんな三年生のために曲考える方の身にもなってよ」(真姫)
「曲はいつも、どんなときも、全員のためにあるのよ」(ニコ)
(※ この「全員」が観客を含めているか微妙なところ。話の流れでは、間違いなく「9人」を指しているのだが、ある種のミスリードだとも考えられる。というのも、ニコはμ'sの中で一番「観客」を意識しているし、いつも「ファンに夢の様な時間を提供することがアイドルである」と論じているから)
「だって9人も居るんだよ。誰かが立ち止まれば、誰かがひっぱる。誰かが疲れたら、誰かが背中を押す。」(穂乃果)
(確かに、そう思ってラブライブ!一期を振り返ると、一期の物語では「ファン」って存在感が無いことに気づく)


で、こんなμ'sに対して、二期3話でA-RISEが「私達はただ純粋に今この時一番お客さんを喜ばせる存在でありたい、ただそれだけ。」と宣戦布告。

もしドラでも、確か、「そうか、観客もステークホルダーだ!」って気づくシーンがあったと記憶しているが、このシーンはまさにそれ。


そして、さらに3話後半で、今まで応援してきてくれたファンが登場する。しかも、「μ's、ミュージック〜」の途中で乱入してくるのも意図的。

これは、μ'sは今までだって9人じゃなかったし、これからも9人じゃないこと。10人目(ファン)がいるよって言っている。
ここまで物語にちゃんと織り交ぜて、演出してくるのが「もしドラ」と違うところ。上手いところ。
どー考えても、最後「1、2、3、・・・、9、10(ファン含めて全員で)!!」ってやる布石。

OPから見るファン(10人目のμ's)


(二期)

(一期)
こんな感じで二期は明らかに観客を意識している。みんなで、学園祭のノリで作ったような舞台。
一期と較べて明らかに「ファン」がμ'sたちの後ろで支えている感じがする。
こーやって見ると、ラブライブの製作陣は、「ラブライブ!一期では何を語らなかったか?二期では何を語るべきなのか?」を真剣に考えて二期作ってるんだろうなぁ〜って思う。

ライブと10人目のμ's

3rdライブ(アニメ一期放送後のライブ)では、ファンが勝手に「「1、2、3、・・・、9」の後に「10!!」って入れてたけど
(つまり3rdライブのときはアニメ同様、「10人目のμ's」を意識してない)
4thライブ(2014/2)の時は「10!!」を入れるような演出してた。
そうやって、「10人目のμ's」という一期で語っていなかったテーマを実際のライブを経て発見し、二期の物語に取り込んでいる


そして、ここまで美しく積み上がっているのを、脚本家花田十輝がいつ壊しに来るのかってのも含めて先が楽しみです。本当に。
(最近、花田十輝だけでなく、監督京極尚彦もクレイジーな人だなって思うようになってきてるので、京極さんがブレイクしに来るのかも……と期待してしまう。ビクンビクン)