ラブライブ!はリアルじゃないところに凄さがある

やっぱり虚実皮膜をゆくラブライブ!

海未の折り合いと共に、大成功へのステップを一足飛ばしで駆け抜ける3人。けれど、突きつけられる残酷な現実。
そんな中でも全力を尽くす3人の姿こそ、あの日あの時、「この娘達の願いに賭けよう」と決意させてくれたμ’sを体現していた。
ラブライブ!第3話感想。……あの、リアルにボロボロ泣きました。 - はげあたま.org

確かに、最高に面白い3話だった。
でも、あの「残酷な現実」は、現実……というよりは少年漫画よろしくな強大な敵だった。

だって、一人も人がいないんだもん。こんなのありえないだろう。
このうそ臭さ。このハッタリ感。これが素晴らしい。これをナチュラルにテレルことなく、堂々と入れてくるところに痺れる。

平気で嘘をつく世界

http://d.hatena.ne.jp/tatsu2/20121028/p1

作品の「リアル度合い」を測る上でギャグシーンを入れるのか、入れるとすれば何処まで崩すのか、これらがひとつの指標になるのですが、【状況的に許されれば、物理法則を無視してキャラクターが飛んだりくらいはする】と判明する保健室パート。

中二病を含めた京アニ作品って、「ギャグシーンだからリアルで無くてもよい」「中二描写だからリアルで無くても良い」って言い訳できるシーン以外は、人物の行動に不審な点・よくわからないところがあっても、世界・背景はリアルだ。
少なくとも、物理法則や自然さは、違和感がない程度の嘘しかついてない。


その点、ラブライブ!は、ウソっぽい嘘から

演出による嘘(強調するための嘘)


単純な間違いによる嘘。(これおかしいと思うんだよね。窓増えてるように見える。左図の手前に窓があるのか?いや、しかし)

時間の省略(時間の嘘)

1. 2.
1では、衣装のスカートが短いことに憤慨した海未が「そういう手に出るのは卑怯です」と言って立ち上がる
2では、戸を開けながら「ならば、私は一人だけ制服で謳います」と出ていこうとする。


何気ない、やりとりではありますが、
先の例から見れば、これが「時間の省略」をやったということがお分かりいただけるでしょう。
ラブライブ3話に見る「時間を盗む」 - まっつねのアニメとか作画とか

たった一ヶ月練習したぐらいでいい気になっている嘘

何が「スカートは最低でも膝下でなけれな履きませんよ」だ、この野郎の嘘

全校生徒180名(3年生3組み、2年生2組み、1年生1組みなので30*6=180)程度しかいないのに超デカイ学校。この状況で「場所がないなー」だって?ふざけんなの嘘

PVにナチュラルにつながる嘘


この、「ああ、これからいったいどうすれば」「どうすれば」「どうすればいいの?」「(歌)だって可能性感じたんだ、そうだ進め。後悔したくない。目の前に僕らの道がある」のシーケンスに突然突入するところは、どっからが本当にあった話で、どっからが脚色・後日撮り直した(と思われる)シーンなのかさっぱりわからない。
まさに虚実皮膜なシーンである。
ラブライブ!を花田十輝から読む - WebLab.ota

これだけの嘘を平然とついてくる、それがラブライブ!

徹底した嘘(虚)の先に辿り着く場所

マンガ☆ライフ |『ラブライブ』に存在する「ゆらぎ」について
しかしそもそも『ラブライブ』というコンテンツは「現実にμ'sがいる」という想定でコンテンツを展開してきている。
前述したような演出から考えると、アニメ版は「事実を元にしたドキュメンタリー風ドラマ」という創作作品で、台詞が繋がっている事や芝居がかった演技をしているのは「この作品がドキュメンタリー風ドラマである」ということを意識させるための演出であり、一話のEDで穂乃果達が踊れている事も「アイドルとしてデビューした後の三人が実際に踊っている」と考えると納得がいく。

「現実にμ'sがいる」という想定→根底の嘘
そのμ'sのドキュメンタリー風ドラマ=アニメ→嘘の嘘
アニメの物語上の日常=今の穂乃果達→嘘の嘘の日常
アニメの物語上の夢=一話のED(PV)→嘘の嘘の夢
アニメの物語上の乗り越える壁=1stライブ→嘘の嘘の現実


彼女たちは嘘(虚)の世界に生きている。しかも、1stライブの描き方、日常シーンの描き方から、自覚的に嘘(虚)の世界で生きることを強いられている。
嘘に嘘を重ね、その中でウソっぽい日常で嘘の夢を見ながら、嘘の現実に負けるのである。


これから先どうするんだろう?
マクロスみたいにロボット出てきて、完全なファンタジーに昇華するのか?
シスプリストパニのように、実写EDでリアルに寄ろうとするか?
それとも、まったく違う解を導くか?
いや〜先が楽しみだ。