日本のネットアレルギーの原因
こういった表題をつけると,保守的な日本の文化とか頭の固いエスタブリッシュメントに対して,若さと熱意の篭った弁を揮いたくなってしまうのだが,できる限り排除した形で書きたい.
既存のネットアレルギーとその原因
前回の気になるネット関係のニュース(著作権,P2P) - WebLab.otaでもいろいろと紹介したが,実世界はネットをネガティブに捕らえる人が多いようなのである.
私は,ネット依存症だとか2chを執拗に恐れたりする人々についてはあまり興味は無いが,ビジネスとしてネットを利用しよう・取り入れていこうと考える人があまりにも少ないのは悲しくてならない.
例えば,日本の新聞業界は未だにコンテンツの永久保存をしてくれない.ブックマークに入れておいた記事も数ヶ月もすれば消えてしまっていることがよくあるのだ.
また,最近ようやっと是正されてきたが,電子新聞が更新されるスピードが非常に遅かったりもする.つまり朝刊や夕刊に載ったニュースから順に電子新聞に載り,リアルタイムにニュースの更新をしようとしていない(まったくネットの利点を使う気がない).
他に,テレビ業界では,最近「サーバ型放送」なるものが盛んに議論されているのだが,しかし,それは私たちが夢想する,すべてのテレビ番組が好きなときに視聴することができ,タグも視聴者側でつけること(集合知)ができたり,ブログに貼り付けることができる……といったサービスにはならないようである.
好きなときに多数の番組から好きなように視聴はできるそうだが,選ぶことのできる番組はテレビ局側が操作できたり(つまり永久に見れるわけではなく,『消え物』であるようだ),タグもテレビ局側がつけたものになり,サービスもポータルサイトに行って視聴する…といった形になるそうだ.
このどちらも『サイバージャーナリズム論』で指摘されていて,このネットアレルギーの原因をいくつか挙げている.
- 日本の新聞業界は,販売と広告収入の比率が65%対35%とアメリカ(15%対85%)と比べて販売収入に依存しており,「紙を売って儲ける」といったビジネスモデルが原因.アメリカは販売収入依存が小さいゆえに,「紙」新聞をあきらめて「電子」で広告を稼ぐ戦略転換が可能である.
- テレビ業界は,今まで新規参入のメディアを受け入れたことが無く,国から与えられた電波免許という既得権益を守ることに(国も一緒になって)必死になっているのが原因.アメリカではケーブルテレビの普及などで,慣れている.
としている.
完成された中央権利型社会
ここから私個人の考えを書く.まず西垣の指摘からヒントを得たい.
日本は典型的な20世紀,中央権利型の産業社会.そこではマスコミが均一的な「場」を形成する上で強大な影響力をもち,テレビ・コマーシャルをはじめ種々のメディア装置を介して大量生産・大量消費をうながしている.
(中略)
首都圏を巨大な消費センターにして経済を活性化するという20世紀産業社会のモデルはすでに時代遅れ(中略)多くの人々の生活を犠牲にしても,既得権益を守りたい人々がいるのでしょうか.
『ウェブ社会をどう生きるか』 西垣 通
確かにその通りである.この国はすべて東京に集中させる形で成り立っている.例えば,売り上げトップ100社の立地なんかも,東京に3分の2が集中している(ニューヨークは3割,パリ・ロンドンは2割)し,人口も他国の首都と比べると圧倒的に集中していることだろう.
あんな狭い範囲にすべてが集中していれば,管理も簡単なのだろう.メディアを使って巨大な消費センター(この巨大という意味はお金のことで範囲のことではない)を思うがままにコントロールすることができているのである.
この国全体で見ても,完璧に整備されたインフラを使って,彼ら(メディア)の影響力が届かない範囲など存在しない……彼ら(メディア)のブロードキャストした情報をノイズが無い状態で,隅々にまで送り届けることができる,完成された中央権利型社会なのである.(サーバ・クライアント型社会)
逆に言えば,アメリカや欧州は完成された中央権利型社会ではないのである.機能や人口が分散しているがゆえに,メディアがコントロールできる範囲が限定されてしまっていた…そして彼ら(メディア)はその影響力を強めたいと考えていた…ところに,時間的・空間的制約を受けないネットが登場した.
彼ら(メディア)は歓喜したのではないだろうか?東海岸のニュースやトレンドをリアルタイムで西海岸に見せ付けてやることができるのだから.
…そういった理由でアメリカではメディアがネットを積極的に利用しようとしているのではなかろうか.
しかし,この国は別にネットに頼らずとも,沖縄にも北海道にも,同じテレビ番組を放送できるし,東京のトレンドや流行語も流行らす事ができているのだ.
…そういった理由で日本ではメディアがネットを”必要としていない”のではなかろうか.