物語(大きな物語・小さな物語)

評論活字(特にポストモダンを語るとき)では“物語”という言葉を良く使う。が、一般に使われる“物語”の意味合いとは違っている。評論活字をよく読む人間にとっては、あまり気にせずこの違いを理解することが出来るのだが、そういった文章から縁遠い人にとっては、それが足枷になってしまうこともあるのではないかと思う。

大きな物語
例えば「大きな物語」と書かれている場合、“大河的な流れがあり、設定の量が膨大で、大きな世界観で作られているストーリ”が「大きな物語」だ、という理解は間違っている場合がある。
もちろんそういった理解で間違いでない場合もあるが、時に「政治的なイデオロギー」という意味をもつ。

リオタールは『ポストモダンの条件』を著したが、彼によれば、「ポストモダンとは大きな物語の終焉」なのであった。

ヘーゲル的なイデオロギー闘争の歴史が終わる」と言ったコジェーヴの強い影響を受けた考え方である。例えばマルクス主義のような壮大なイデオロギーの体系(大きな物語)は終わり、高度情報化社会においてはメディアによる記号・象徴の大量消費が行われる、とされた。この考え方に沿えば、"ポストモダン"とは、民主主義と科学技術の発達による一つの帰結と言える、ということだった。
引用:ポストモダンWikipedia

大きな物語」はポストモダン論を語る上で使われるようになった言葉である。
そこでは「大きな物語」を“皆が共有するべき価値観や考え方”という意味で使われる。

小さな物語
「小さな物語」と書かれている場合は、ほとんど一般に使われる“物語”と意味するところは同じである。
しかし上記の「大きな物語」も「小さな物語」も、すべての物語に対して適用されるべきものではない。これらの使い分けで区別されるのは精々20世紀に入ってからの話である。