ハーレムラブコメ

1 はじめに

今回のレポートは2001 年から2003 年までの原作付のアニメに対する評論ということなので,それほど遠い昔の話ではなし,およそ振り返ってみることにした.
が,かなり偏った作品のラインナップしか記憶に残っていなかったのは,私だけではないはずだ.
天使のしっぽ」「DearS」「シスタープリンセス」「いちご100%」「HAPPY ★ LESSON」「藍より青し」・・・
読者もこれらと同じ”最大公約数”を持った作品を思い出されたはずである.
よってこの”最大公約数”は,この年代を特徴付ける”何か”だったに違いない.
そこで今回は,この”最大公約数”についていろいろと書き連ねていこうと思う.

2 ハーレムラブコメとは

  • 1.何も魅力の無い主人公に,各方面に秀でた複数人の女性が一方的に好意を寄せる.
  • 2.彼女達が主人公のことを好いている理由が不透明で,理解に苦しむことがある.(有ったとしても取ってつけたような理由)

 概ね,設定段階から好いていることが決まっていることが多く,主人公の人格や境遇は,考慮されない.

上述した作品は基本的に以上のような特徴を持っている.
1,2ともに,一般的な恋愛感とは深刻なギャップがあり,流石に正常とは云いがたいものであることは,判ってもらえると思う.
特に2は母親が当然の義務として,何の見返りも無しに子供を愛し続けている様に良く似ている.
信じられ無いほどの優柔不断でも,どれだけ我を通しても見捨てられることがなく,唯唯『好意がある』という設定が黙々と機能し続ける.

まるで,”母と子”のようではないか?
愛することを決められている存在と,愛されることが決められている存在……
つまり,これらに登場するヒロイン達は,同級生や妹の姿を借りた母親の姿であり
総じて,この手の作品は”胎児への退行願望”が作り上げた世界である,と云えるだろう.
この点「HAPPY ★ LESSON」は,この母親象をメタファー*1に処理せず,堂々と直喩した作品となる.

私はこれらの特徴を持った作品群を”ハーレムラブコメ”と呼んでいる.
上記のものを含め,「GIRLS ブラボー」「まぶらほ」「まほろまてぃっく」などが代表的な作品として挙げられる.

(1) 隠喩

3 歴史

3.1 初期

ハーレムラブコメの歴史は,そう古いものではない.
例えば1980 年から1987 年まで連載していた「めぞん一刻」は,一見ハーレムラブコメであると認識されがちだが実はそうではない.
構成から診れば,常に三角関係のままで進行していて,一定期間ごとに主人公を慕っている敵役は代替りするものの,同じシーンで同時に登場することは無く,泥沼の4角,5角関係に陥ることはなかった.

筆者の認識するところ,ハーレムラブコメの初作品は「天地無用!」である.
このアニメは1992 年から始まり,2002 年まで続き,今日のハーレムラブコメの礎を築いた作品でもある.
内容は知ってのとおり,典型的な”それ”で,(主人公を慕うような人間は地球にはいないので)価値観のぶっ飛んだ宇宙人が10名ほど飛来し,思い思いに求婚するという作品である.
このある種精神的疾患とも思える作品が登場したのには,”ある社会現象”が起因していると思っている.
それは,1992 年という数字を見て,ピンときた方も居られるかも知れないが,バブルの崩壊(1992年) である.

それ以前,つまりバブル景気真っ最中は「尽くす君」と云われるような,女性に尽くす男性が理想的とされていた,ハーレムラブコメの世界観とはまったく異なった時代であった.
1990 年の「ふしぎの海のナディア」の主人公は尽くすタイプの男の子であったし,さらに育成シミュレーションゲームの父たる「プリンセスメーカー」(1991 年)では,”孤児となった娘を養女にして育てる”といった具合に, ハーレムラブコメとは”全くの逆位置”にある作品が多数存在していた.
しかし,バブル崩壊(1992 年)後,たった一年弱の間に,男性は尽くすことの美徳を放棄し,逆に救済を求めるように,”尽くされたい”と願うようになったのである(2).
つまり,ハーレムラブコメというジャンルは,バブルの崩壊という時代の暗黒が生み出したリビドー(3)の具現化とみることができるのではないだろうか.

(2) 実際は尽くすことが,金銭的な理由によりできなくなったのだが
(3) 性的衝動の基になるエネルギー

3.2 中期

どす黒い心的エネルギーから派生したこのジャンルは,1994 年ごろから1998 年まで表舞台から姿を消すことになる.
即ち,ギャルゲーやエロゲーへ活躍の場を移したのである.
もともと俗悪的要素を多大に含んでいる訳であるし,アングラ*4に沈降していくことも,むしろ必然のようにも感じるが・・・
1996 年に「下級生」,同年「Pia キャロットへようこそ!!」シリーズ,翌年「To Heart」等がある程度の支持を獲得するものの,当時1995 年から「新世紀エヴァンゲリオン」が放送を開始しており,影響を受けたエヴァンゲリオン症候群*5の市場独占のため,それほど脚光を浴びるようなことは無かったように思う.(6)

3.3 後期

1998 年ごろから,今日の繁栄の立役者となる作品が登場するようになる.
やはり,まず筆頭に挙げられるのは「ラブひな」(1998 年) だろう.
この作品は,それまでアングラで燻っていたハーレムラブコメを,少年マガジンという大舞台で積極的に取り入れ,大々的に展開した先駆者である.
この作品があったからこそ,今の氾濫があると真に思う.
筆者が「ラブひな」に対して一定の評価を持っているのは,こういった一ジャンルの起爆剤としての役割を買っているからである.
ハーレムラブコメはこれ以降,追従する形で数々のヒット作を排出することになる.

1999 年 藍より青し(漫画),Kanon(game),シスター・プリンセス(game),To Heart(アニメ)
2000 年 GIRLS ブラボー(漫画),まほらば(漫画),HAND MAID メイ,VANDREAD

(4) アンダーグラウンド
(5) 簡潔に述べるなら,「エヴァ」を崇拝し,模倣しようとしたものの,夢半ばで潰えた群
(6) アングラでの評価も今に比べれば規模がいささか小さい

3.4 末期(感想?)
ラブひな」以降,現在に至るまで留まることを知らぬ勢いで躍進し続けているハーレムラブコメであるが,私はいい加減辟易している.
しかし,この流れはあと数年,収まりはしないだろう.
まったく,シナリオも設定共に,いわゆる”お約束”によって構成されているこのジャンルが,何故これほど蔓延してしまったのだろうか?
ほぼ同じようなストーリーで,キャラクターで,イヴェントも公式と化しているというのに・・・作品同士の違いと云えば,キャラクターの名前と髪の毛の色ぐらいでは無いのか?
古のエヴァンゲリオン症候群作品では,受け手側も,作品が発表されるたびに「劣化コピー」だのと敲き,悪趣味な楽しみ方をして退屈を紛らわしていた訳だが,今回のは,どうも勝手が違うように思える.
異論はあるだろうが,このジャンルの受け手は総受の状態で,純粋にその奇怪な世界に浸っているように見えるのだ.

なるほど,つまりハーレムラブコメが繁栄を極めた理由も,”退行願望”に依存しているかもしれない.
性的な価値観はいざ知らず,少年漫画のような複製の愛楽(7)は少年のそれと酷似している.
もともと”胎児への退行願望”をイデア(8)として創造された世界であるから,概ね,的を射ているかもしれない.

(7) 愛し好むこと
(8) 個々の事物をそのものたらしめている根拠である真の実在
(9) 最近の作品で元ネタが無いものは小数であるし,知っているか,知らないかの違いだ.

4 プチ赤松健

私は「ラブひな」だけでなく,赤松健自身をそこそこ評価している.
理由は,先に述べた様に,ハーレムラブコメの発展に貢献したことと
もうひとつ,上質なパロディ作家としての評価である.

ネギま」の連載開始当時,各方面から『パクリ過ぎだ』等と,的外れな間主観的批判があがっていた事もあったが
もともと同人誌出身な訳であるし,「A・I が止まらない」(1994) も「ああっ女神さまっ」(1989) のパロディだし,「ラブひな」も「めぞん一刻」と「天地無用!」のパロディであることは明白な訳だから,今更そんな批判をしても,どうしようも無いと思っていた*9.

そんなことよりも,私は赤松健がハーレムラブコメを捨てた事のほうが衝撃的だった.
何しろ,10才の少年が主人公なのである.(”Love”が出来るとは到底思えないし,本編中でも既に「恋愛が理解できない」と明言している)
これは赤松健が,自身で繁栄させたハーレムラブコメをもパロディにしてしまったことを意味している.
自覚的にやったとは思わないが,既に記した”幼児への退行願望”を「HAPPY ★ LESSON」の逆方向で具体化させたのである.

それにしても,もともとパロディとハーレムラブコメしか,自己の表現方法として知らない赤松健が,ハーレムラブコメを捨てたとなると,「ネギま」は外見こそハーレムラブコメのように見えなくも無いが,本質的には完全にギャグ(パロディ) 漫画に属すことになる.
しかし,時間は常に彼に味方する.
いや,時が来るのを測っていたのかもしれないが,ちょうど少年マガジンは,その頃,パロディ雑誌として特殊化し始めていたのだ.

例えば,「魁!!クロマティ高校」は絵柄まで池上遼一のパロだし,題名もパロである(10).
スクールランブル」も,「ガンダム」や「まんが道」のパロがあったり
「ツバサ」はそのままだし(11),久米田康治が連載を開始していたりする.

最近のマガジンを読むと,自分の知識量を試されているようで何か嫌・・・と主観的見解は置いておいて
つまり,「ラブひな」であれだけ成功した手法を破棄して,パロディ一本に絞ったことは賞賛に値する.

元ネタは「リベリオン」(12)から,「攻殻機動隊」,彼が大好きな「新世紀エヴァンゲリオン」等など,最近の知識で描かれてはいるので,昔過ぎて理解できない距離感ではないので,理解できないパロディ漫画を読むより健全だと思う.

(10) 内容の方は,私には難しすぎて理解できない.
(11) この場合自己模倣になるかな?
(12) アメリカ映画