京都アニメーションのすごさと現在のオタクの世代差?

京都アニメーションのすごさ」なんてタイトルを掲げてはいるが,”ハルヒ”と”らき☆すた”以外は言及しません.
最低限,”元請制作をしだしてからの京アニ”ぐらいの長さで分析しないと功績なんて語れないだろうとは思っていますが,いまさらMUNTOとか考えながら見るのが辛かったので,ハルヒらき☆すただけにします.というか,ハルヒらき☆すたの話も少なくなる気がします.
しかもかなり思いつきであります.


思いつきは,「なんか”ハルヒ”と”らき☆すた”って,繋がっているようで,繋がっていないんじゃないか?ターゲットとしているオタク層が違わないか?」という感覚である.
どちらの作品も,かなり遠くの方から客観視しているつもりだが,私はオタク文化に片足どころか肩まで漬かってしまっている人間なので,「なんかよくわからんけど盛り上がっているなぁ〜」と勢いを感じずにはいられない…そんな作品.スタッフも,声優も意図的にリンクしてあるし,らき☆すたには最近ハルヒネタがすごい勢いで入り込んでいるし,CDの売り方なんかをみても酷似している点が多々ある.けれど,私のゴースト(感覚)が”別物である”と囁きかけてくる.


何故だろう?と考えていたら,「らき☆すたのファンって厨房って呼ぶ感じじゃないな〜」って考えが浮かんだ.


世代的な話をするが,ちょっと前の月姫とかハルヒひぐらしのファンは,我々の世代で言うと”エヴァンゲリオンを14歳,15歳の多感な時期に見て,傾倒してしまった人々”に似ている気がする.作品に対して”文学性”みたいなモノを感じてしまって,リスペクトして病まないといったファンが多いように見受けられる.
これを私は厨房だと認識している.簡単に言えば,厨房は「盛大な勘違い」をしてしまった人だと思っている.この盛大な勘違いがあまりにも激しすぎて,鬱陶しがられる行動に走ってしまったり,厨房的な行動に走らなくても,何年たってもその勘違いから抜け出せなくなってしまったりする人もいる.
ハルヒ若い頃にマルクスを読むとか太宰を読むとかして,訳のわからんことを真面目な顔して延々と語りかけてくる若者を量産するタイプの作品であると感じている.所謂”麻疹”的な作品なわけだ.(今年は大学生も大量にかかったけど,ここでは一度かかったら二度とかから無い病気という意味)


その点らき☆すたのファンは違っている.ニコニコ動画に上げられるMADを見れば解ると思うが,らき☆すたのMADは茶化して面白がったり,ツッコンで面白がったりする作品が本当に多い.というより,最近のニコニコ動画に上げられて人気の出るMADは,茶化して面白がっているものが本当に多くて,純粋にお祭り騒ぎだ.
一昔前,月姫とかハルヒのMADは結構本気で作りこまれているものが多かったように記憶している.本気でカッコよさを追求しているMADが多かった.しかし今では,時々アップロードされると「厨房」といっては叩かれまくっているのをたびたび目にする.(TYPE-MOON作品が一番悲惨)

こういった状況を見ていると,「オタクの好みが変わったか?世代交代したのか?」っといった気になる.
「2006年から2007年の間に何かが起こったんじゃないのか?」…そんな気になる.
エヴァンゲリオンに傾倒しまくった人々(熱い人々)を見てきて,ある種の人間がエロゲーに走った(快楽主義?楽天的?面白ければいいじゃないか主義)のと同じように*1月姫とかハルヒひぐらしで傾倒しまくった人々(熱い人々)を見てきて,らき☆すたとかニコニコ動画を楽しむ人たち(ツッコミ,茶化す)が台頭してきたのかもしれない.


そういった現状理解をすると,「京アニは熱い世代の尻尾でハルヒを,そして一気に方向転換してシラケの世代向けのらき☆すたを作ったのか〜すごいな〜」っとなります.

感想

テストやばいです.オブジェクト指向のレポート舐めてました.すいません.
シーケンス図がトンでもない事にw

*1:セカイ系ってところでは繋がっているけど,方向が違う