祝福のカンパネラの背景をアニメ演出的に考える

本エントリは
カンパネラの町並みがおかしい件 - はじめてのC お試し版
カンパネラの町並みに関する議論の個人的総括 - はじめてのC お試し版
の記事に触発されて書いている.

アニメ演出を忘れてる

僕の批判点を整理すると、「道幅のわりに建造物が低層である」こと、そして「建造物のデザインがバラバラである」ことです。批判の根拠は、「イタリアあるいは西欧的文化圏」の実際の街(歴史的エリア)との比較でした。
(中略)
たくさん頂戴した、「ファンタジー都市でありイタリアではない」という指摘は至極まっとうなもので、ことさらに反論するべき理由はありません。(中略)
 一方で、「一連の町並みにはちゃんと理由があるのだ」とする指摘もありました。大きく分けると、作品の世界観的な根拠、そして制作(コスト)上の理由に基づく根拠、の二点になります。
カンパネラの町並みに関する議論の個人的総括 - はじめてのC お試し版

世界観的な根拠,制作コストだけじゃない.
アニメ演出に基づく根拠だってある.


この手の「背景についての議論」は宮崎駿出崎統あたりでやりつくされていると言っていいのに……ぶつぶつ
っといろいろ言いたいけど,グッと我慢.

監督ウシロシンジ 背景だって演技する

この祝福のカンパネラの監督ウシロシンジは,結構背景で演技させたり,リアルでないレイアウトをとる人です.
例えば,Canvas2の22話(絵コンテ演出ウシロシンジ)では,こんな演出をしている.

うん.人物を右から撮っても,左から撮っても,前,後ろから撮っても背景が壁
まぁ病院の中庭らしいので,こーゆー構造の建物なのかも知れないけど,演出的な意味としては,エリスが口にする「お兄ちゃんから卒業した」という言葉は嘘であり,ずっと同じところにいるし,逃げれないという暗喩であったりする.


アニメはありえないところに壁を作ったり,小物を置いたりすることが容易な映像メディアである.
これはアニメにとって最も武器になるところである.


以下,先のエントリで指摘されている部分のアニメ演出的意味を考える.

2)やけに低い町並み→空によるヌケ 開放感



この二枚の図を見たら,このアニメが何を重要視しているか分かるのではなかろうか?
そう,「空」である.
大体,「流星群が」とか言ってるし,「夜空,空」ってのはこのアニメにとって街並みのリアリティよりも優先されるものなのである.
先のエントリでは,「道幅のわりに建造物が低層である」と言っているが,こーゆー絵的なアニメ的な理屈もあるのである.

1)無駄に広い道幅→広いレイアウト


コレにもアニメ演出的な理屈があると考える.
例えば,この広い道幅を狭くすると,絵としてゴチャっとしてしまう
つまり,

道端の店にはある程度人がいて賑わっている感じにしたい,かつ,主人公たちが歩いてもゴミゴミした感じを出したくない・・・道幅を広くしてしまえ!

という理屈.


もう一つ,「広さ」というキーワードから,監督ウシロシンジを見てみる.
彼はよく分からないけれど,やたらと広さにこだわっている.
広いレイアウト,広い廊下,広い部屋……


(左が普通の広さ,右は広すぎる.乙女はお姉さまに恋してる11話コンテ,12話コンテ演出 ウシロシンジ回)
たぶん寂しさとか距離感とかを出そうとしている.
違和感よりも広さから生み出される心象みたいなのを優先している演出家.それがウシロシンジ