メタ的構造を分類する

今回は,メタ的構造を私が肯定的に評価しているメタ的構造と,否定的に見下しているメタ的構造とに二分することを目標としている.しかし,本エントリではその見分け方の紹介まで行けなかった.
しかし,一応前段階としての否定的に見下しているメタ的構造の紹介はできたと思っている.

氾濫するメタ

最近のオタ界隈の議論の風潮 - 「○○というメタ的構造が~」 - 鍵っ子ブログ
 最近はこの傾向が酷くなってきて、もう猫も杓子も東浩紀の真似事で「〜このゲームは〜というメタなのです」「〜というゲーム的リアリズムであります」「ポストモダン化に対する〜です」などと書いて結論を出しているか、もしくは「このゲームは○○というメタ的構造が埋め込まれています。以下、それを考察していきます」などと前提を置いて、メタ構造を考察するだけの文章を読む機会が増えています。
 (中略)流行語があまりに便利すぎて、これらの単語を使えば「考察」した事になったり、これらを言いたいが為の文章となっているのが嫌なのです。

という指摘をもうずいぶんと前に貰った.
この指摘は,宇野常寛が「ゼロ年代の想像力」で東浩紀に感じている違和感と同じで,要するに東フォロワーに対する批判である.
宇野は動物化とかセカイ系といった言葉で”ひきこもりの思想”を評論したがる論壇に対して嫌気が差しているし,先のエントリではゲーム的リアリズムとかメタ構造といった言葉で”オタク作品”を考察したがるオタクたちに対して嫌気がさしているのである.

このどちらの指摘にもある程度賛同できるのだけれど,作品のメタ的構造を分析したり,メタ的視点を持って作品を評価したりすることを否定されるのは非常に辛い
確かに,涼宮ハルヒリトルバスターズなどの安直なメタ的構造(だけ)を持った作品を評価するための”メタ”は批判すべきだと思うのだが,それ以外のメタ的構造を持った作品,メタ的構造に注目した考察までも,ひとくくりにして否定しないでほしいと思うわけである.

東浩紀の罪

しかし,東が涼宮ハルヒやKeyを代表とする美少女ゲーム思わず救ってしまったことに関してはやはり反省が必要だと思う.何故なら,先のエントリが指摘するように東があまりにも(表面上は)使いやすい評価方法を生み出してしまったがために,クリエーターも東の分析に(形式だけ)沿う形の作品を濫作し,またそれをオタクたちも東の分析手法を使って評価する…といった内容が全く無い状況を作ってしまったからだ.*1


そもそも,東がメタ構造に注目し,ゲーム的リアリズム環境分析的読解なんかを考え出したのは,彼がうる星やつら」のファンであることと決して無関係ではない…と思っている.
あの当時,高橋留美子的な世界感を批判する人々は結構いたし,彼もゲーム的な世界…つまりるーみっくワールド(永遠と終わらない学園祭)からの脱却に悩んだオタクの一人だった,もしくはるーみっくワールドをどうやったら擁護できるか?理論武装可能なのか?を考えていた人間の一人だったのだろう.
そんな彼が最終的にたどり着いたのが,高橋留美子的世界感を色濃く引きずっている”美少女ゲーム”であり,それを擁護することで自己慰安としたのではなかろうか?
そして,そんな彼を,バブルの崩壊以降冷え切っていたアカデミックな場がここぞとばかりに持ち上げてしまった……なんて邪推をしてしまいたくなる.


とにかく,その東の考え方をオタクたちは無批判で取り入れ,形式ばかりを真似して乱用した.結果,先のエントリのような感想を持つ人が出てきたわけだ.
私はこの状況が,いしいひさいちの登場によって,死滅しつつあった4コマ漫画を救ったのはいいが,救わなくてもいいものまで救ってしまい,4コマ漫画誌の創刊ブームにまで発展した…という事件よりも悲惨な状況になったなぁと感じている.



「ゼロ年代の想像力はWeb2.0だろう」という考え方 - WebLab.ota

*1:もちろん,この状況を作り出した責任を東に問うのは間違っているのだけれど