組曲『ニコニコ動画』をカラオケで歌いたい

夏休暇中…時々カラオケに行くのだが,行く度に組曲を歌いたいよね」という話になる.かくいう私も強く”組曲『ニコニコ動画』”をカラオケで歌いたい人間の一人だ.
最近のカラオケは凄いもので,組曲に入っている”ふぃぎゅ@”や”とかちつくちて”なんていうマニアックな歌も入っていて原曲でなら楽しめないことも無い.が,正直サビ(組曲で使われているパート)以外知らないわけで,前半放置でサビだけ歌うという寒いことをしなければならない.
真っ赤な誓い”や”アクエリオン”も組曲に少し入っているから気持ち良く歌えそうなのに,喉が切れそうになりながら3分強歌い続けるのは辛い.
また,上記の例のようにどんな形であれ歌えるものは良いが,”東方”や”国歌”,”おっくせんまん”なんかは入っていない訳で,どうしても不完全燃焼…になってしまう.カラオケにストレス発散しに行っているのに,逆にちょっとイライラしたりする.


だから,お願いです.組曲『ニコニコ動画』をカラオケに入れてください!!  or2


といった話を仲間内でしていたのだが,現時点では”無理だろう”という見方が多数だ.そういった悲観的な人たちの言い分は基本的に権利(著作権)を持ち出してくる.
う〜ん…まぁ私も法律には明るくないので,実際法律でどうなっているのか知らないが,この著作権があるから無理だろう」という考え方にどうしても風穴を開けたい.


例えば,http://pro-r.jp/index.html

プロジェクトレヴォリューション」は、ブロッコリー富士見書房が共同で制作・販売する対戦型カードゲーム。さまざまな作品の登場キャラクターがコンテンツの枠を超えて戦うというコンセプトのもと、上記2社の他に角川書店メディアワークスエンターブレインが参入し、各社の人気キャラクターをモチーフにしたカードが販売される。
人気キャラが大活躍!ブロッコリー、新作TCG「プロジェクトレヴォリューション」発表 - 電撃オンライン

このカードゲームは,「らき☆すた」,「ギャラクシーエンジェル」,「ケロロ軍曹」なんていういろいろな作品のキャラクターが使われているわけで,こういった複数の権利をまたにかけた商品は結構あるものなのだ.

一番有名なのは,スーパーロボット大戦だと思っているが,あれも,サンライズとかガイナックスとか複数の会社の作品がちゃんぽんされているじゃないか.
(カラオケである”メドレー”だってそういった要素があるんじゃないのか?)
ならば,複数の権利をまたにかけている組曲『ニコニコ動画』だって,がんばれば認められそうなものである.

確かに事後承諾という形に問題はあるけれど,サイバーフォーミュラの二次創作ゲームである「Cyber Grandprix Championship β版(ver 0.24)」が「新世紀GPXサイバーフォーミュラSIN CYBER GRANDPRIX」となり,サンライズに認められて販売された*1ことだってあるし,私の記憶が正しければ,「ドクタースランプ」なんかも鳥山明が”ウルトラマン”や”ゴジラ”といった権利にうるさい会社の作品を無断*2で使ったが,「一度鳥山の絵になった」ということで見逃してもらえた上に,人形にまでなっていたことだってある.*3


と,まぁ長々と書いたが,とにかくカラオケに入れてくれさえすれば,もうどうなってもいいですw
(支持者募集中)

*1:新世紀GPXサイバーフォーミュラ - Wikipedia

*2:だった気がする

*3:どうも後にいろいろ問題にはなったようだが

オープンソース現象といわずにどういえばいいのか?

ニコニコ動画は仮想世界における原宿ホコ天なのだろう:ナレッジ!?情報共有・・・永遠の課題への挑戦:オルタナティブ・ブログからニコニコ動画で行われているオープンソース現象 組曲『ニコニコ動画』 - WebLab.otaの記事にトラックバックをもらった.(ITmediaからトラックバックをもらえたことは素直にうれしいw)


まぁ,この記事は,ニコニコ動画で行われている一連の創作活動のあり方は,(オープンソース現象ではなく)一昔前の原宿ホコ天なのではないか?という考察だ.


私は思う.

  • ニコニコ動画というネット上での創作活動…
  • 時間的制約や空間的制約は一切なく,その気になれば世界中のどこからでも,いつでも創作活動に参加できる場
  • 作品や手法を一瞬で世界中の人々と共有できる場
  • リアルでは考えられないほどの疾走感を感じる場
  • そうした熱気をリアルではありえないほどの数の人間で共有できる場

これを原宿ホコ天とするのは如何なものであろうか.
多少辛口で指摘してしまえば,ネット上で今起こっている革命(ビジネスモデルの破壊,メディアの破壊,価値観の再構成など)を旧態依然としたパラダイムで理解しようとすることがそもそもナンセンスだと言っていい.*1
茂木健一郎なんかは,ネットの登場を”言語”以来だと称するほどの大革命だと位置づけているほどだ*2


確かに,オープンソースという言葉を使うには,ライセンスとかフリーといった考え方がすっぽり抜け落ちてはいるが,私の暴力的な理解を使えば,そんなものはオープンソースの本質ではない.
ライセンスとか著作権といったものは,革命前と革命後の世界を結ぶために用意された妥協点でしかないと私は思っているからである.

*3

*1:原宿ホコ天とするのは,ネットに疎い人々にはわかり易いのかも知れないなぁ

*2:さすがに”言語以来”ってのは…どうでしょうねぇ

*3:先の記事でも,ニコニコ動画オープンソース的なものを感じると書いてあったので意を強くしている.非常にありがたかった.