鉄腕バーディー DECODE:02 第7話の作画への反応まとめ

鉄腕バーディー DECODE:02 第7話の作画について知っておくべきこと - WebLab.ota鉄腕バーディー DECODE:02 第7話の作画についてダラダラと - WebLab.otaに対する反応とかをまとめつつ

作画崩壊とは何か?

先の記事のコメントやら何やらでいろいろ反応してくださる方々の中に,「今回のバーディは作画崩壊」であって,私を「作画崩壊擁護派」だとして批判するものがあるが,私はまだ今回のバーディが作画崩壊かどうかなんて判断していないんだよね.
そもそも,この作画崩壊って言葉の使い方が人によってまちまちで,どう反応していいのかよくわからない.
ある人は,キャラ表から外れたら作画崩壊である,と言い.
ある人は,視聴者が違和感を覚えたり,拒絶反応が多く出たら作画崩壊である,と言う.
またある人は,キャラ表から外れてもいいけど,外れすぎたり,動いてなかったりしたら作画崩壊であるとか,作監の修正が間に合っていなければ作画崩壊である,と言う.
(参考:「作画崩壊」というゼロ年代の想像力 - あしもとに水色宇宙http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20070426/1177623226


個人的には

こーゆーのを作画崩壊というなら解るが



この辺を,上と同じように「作画崩壊」とは言わない.

作画アニメについて

http://sukebeningen.blog46.fc2.com/blog-entry-174.html
作画アニメという需要はこの世の中にはほぼ存在しません」という結論。
だから作画マニアとアニメーターはグルになって(作画にさほど興味のない)一般アニメファンたちに共同購入させようとする。自分達だけが欲しい「作画アニメ」を割り勘で彼らにも払わせようとする。その上「この作画の凄さが分からないなんて!」などと威張ってくる。ズーズーしい!
(中略)
自分は「作画アニメは必要だけど、けして何処でやっても良い訳ではない。テレビのような不特定多数の目に触れるところでは控えるべき。OVAのように『ソレを最初から求めてる人達』に向けた場所で存分にやれば良い」というスタンス。

これはかなり正しい気がする.


しかし,野心のある若手原画マンが気軽に,そーゆーOVAを作れるという現状ではない以上,「回想シーンだから」とか「今回は作画回・実験アニメです」とかそーゆー言い訳で,ガス抜き・修行をする場を作ってやってもいいと思ってる.


私は,演出家や脚本家,監督が,いつかすげー面白い作品を作るために,エロゲの原作通りに面白くもないアニメを作ったり,原作ぶち壊して面白くもないアニメを作りながら,演出筋力・脚本筋力・監督筋力を鍛えるのはありだと思ってる.
原画マンも,いつかすげー面白い作品を作ってくれるなら,実験でもなんでもやっていいんじゃないかと思ってる.

実験アニメに対する耐性

三歩進んで三歩下がる 鉄腕バーディー DECODE:02 第7話について
こうした実験作画って、80年代はTVアニメとか一般のアニメファンの目にも触れやすいところでやっていたところがあるように思うんだけど(金田系とか山下系は当時の流行であると同時に実験的な、先鋭的なものでもあった)、アニメの作画を語ろうとか読むと、90年代では結構マイナーなOVAとか劇場作品で実験的なものが多かったんだよな。
(中略)
90 年代に力があったのがサンライズとか東映とか、どちらかと言えばパッケージ的な作品を多く作る会社だったことも、実験的なアニメが少なめだった原因だと思う。
(中略)
だとすると、今その中で育ってきた10代、20代はTVアニメをパッケージとして普通に楽しむものとして捉えているTVアニメで実験的な作画をされて拒絶反応を起すのは、当然といえば当然なのかもしれない。

そーゆー部分もあるのかも知れない.

演出崩壊について

作画崩壊なんかよりも演出崩壊の方がよっぽどマイナス評価の対象になるんですが。(中略)「アニメってのは映像(Movie)の一ジャンルでしかなくて、つまり時間の彫刻であり、アニメ番組なら25分の時間の流れを切り出すリズムがアニメの命で、そのリズムをアニメ的にするのがアニメ作画である」というくらいに考えている「映像好き」だから。
(中略)
「時間の彫刻」である演出が崩壊していなければ、他の部分がどう崩れていようがアニメは成立するし、叩かれることも最小限になるはずなんです。

演出崩壊なんて言葉は初めて聞いたけども
とりあえずそーゆーものがあるとして,話をしたい……けど


そもそもどーいったものを演出崩壊とするのだろうか?

釣りエントリタイトル案「作画の善し悪しでしか作品を語れないアニオタはシャバい」 - ピアノ・ファイア
ちなみに、「うる星」や「銀魂」とかなら、アニメーターが暴走していても面白いアニメになるじゃないか……という意見もあるでしょうが、それはそれらがコメディ(ギャグ)アニメだから。「コメディの範囲で暴走させる」という意味でのコントロールが効くジャンルと、そうでないジャンルがあるということです。

としているから,基本的に,ギャグでないものでアニメーターが暴走しちゃったアニメは演出崩壊となるのだろうか?
演出崩壊していないアニメって何があるのだろうか?
演出崩壊しているアニメって何があるのだろうか?
何をもって「演出崩壊である」とするのだろうか?(神作画,普通の作画,作画崩壊といった区別はあるのか?)
演出アニメとかってどーやって判断するんだろうか?
具体的な例がないのでよく解らない.

一貫したリズム

釣りエントリタイトル案「作画の善し悪しでしか作品を語れないアニオタはシャバい」 - ピアノ・ファイア
全編・全話で一貫したリズムを作りあげた時点で、アニメとしての評価の基準が生まれます。

なんの起伏もなく,目立ったこともせずもクリエイティビティも感じられない,そんな演出でヌルーく作られたものも一貫したリズムってものになるんだろうか?
だとしたら演出崩壊してたっていいよ.
巌窟王とかカレイドスターとかシムーンみたいなアニメが量産されるならともかく,多少バランスが悪かろうが,面白い方がいいなぁ.

補足

『鉄腕バーディーDECODE:02』第7話の作画崩壊騒動について - 法華狼の日記
鉄腕バーディーDECODE:02』で特長的な作画が見られることは、充分に予測できた。いや、スタッフの業績を知るべきとかいうのではなく、それ以前の話で。
(中略)
そこで一期の『鉄腕バーディーDECODE』に特長的な作画が存在しなかったかと問えば、けしてそうではなかった。端々でアニメーターの個人技が見られたことはもちろん、大量破壊事件が描かれる第12話「DOOMSDAY」では全編ベテランアニメーターの妙技が冴え、キャラクター表から大きく外れた作画が行われていた。
つまり今回が初めてではない。むしろ、整った作画だけを期待することがおかしい作品なのだ。



http://d.hatena.ne.jp/hapze-23_45/20090228/p1