まかでみ・WAっしょい!の哲学とオタク文化と

まかでみ・WAっしょい!が終わった.いやぁ,本当に楽しいアニメだった.
で,今回は「まかでみ・WAっしょい!」が語ってくれた哲学(?)についてお話したい.

「出産」=「召喚魔法」=「人工的に作り出す」

このアニメの主人公,羽瀬川拓人は聖母マリアと同じ力を持っている.つまり「神を生み出すことのできる力」*1がある.
この能力は初め,召喚魔法という形で発揮された.
二度めは,人工的に作り出すという形で発揮された.魔法ではなくて,自分の中で求めている少女を人工的(バイオテクノロジー?)でもって生み出した.
「神を生み出すことのできる力」の前では「出産」と「召喚魔法」と「人工的に作り出す」ことが区別されない.
しかも,二度めは

少年:そばにいてほしいと望むのは誰だ?(中略)
拓人:そんなのいない(中略)いたことなんてない
少年:君の心の中にすら?(中略)恥じるな,さらけ出せ!(中略)君は何を望む?君は誰を望む?君は…
拓人:無理だよ!そんな人間いるわけがない!そんなの僕の心の中にだけいる妄想だ!
少年:だからこそ形を与えよ.絵に描け,言葉に綴れ,像として祖型しろ.

という指摘から始まる.


この少年の言葉はまさしく,ガブリエルによる「受胎告知」だ.(アニメでは少年=サマエルによる告知なのだが)

(左はレオナルド・ダ・ヴィンチの『受胎告知』)
まず妄想し,その欲望を自覚して恥じずにさらけ出すことを覚悟するというのが,マリアの「受胎告知の受け入れ」に相当している.


つまり,俺の嫁」的な妄想を声を大にして発することが「受胎告知」と同等であり,絵にして言葉にすることが「神を出産する」ことと同等の価値を持っている.

人が創造物を愛するということ=神が人を愛するということ

このアニメに出てくるアガリアレプトやガブリエルは,18禁のDVDを大人買いしたり痛車の基盤に高級車を使うような萌バカだ.
サマエル(佐久間榮太郎)に至っては,自らペンを持ちコミケに出す同人誌を描いてるほどのオタクだ.
彼は等しく,人が作った創造物を愛している.そしてまた

いいか人間よ.原初の魔界や神界には何もなかった.神や悪魔がただ本当に在っただけだ.
我らは不変にして不滅.何をせずとも無限に存在しつづけるが故,人間のように文化だの技術を必要としなかった.
滑稽な話だろう.我らは貴様らとは比較にならぬほど,何でもできるだけの力を持ちながら,実際のところ何をしてよいのかさえ,わからないのだよ.
人間.貴様らは我々を永遠の退屈から解放してくれる存在.非力で脆弱なくせに,いや,だからこそ我々には思いもつかないような可能性と多様性を秘めている
我々(神や悪魔)はな,お前たち(人間)がいなければ,さびしくてさびしくて,仕方ないのさ.
「第四話 パルディアの言葉」

という言葉にあるように,「神によって作られた人」のことも同様に愛している.
この世界では,神が神によって作られた人を愛することと,神が人によって作られた創造物を愛することが同等なのである.


そして,人が人によって作られた創造物を愛する…それを体現しているオタク(萌)文化が,神が人を愛することと等価であることを訴えている.

・・・

なんというかすさまじい作品だった.
バカな萌アニメだと最初思ってたのに,まさかこんな持論を展開するとは……

*1:厳密には神魔らしいけど,どーでもいいや