「ガンダム=日活ロマンポルノ≠エロゲ」

mattune氏から「エロゲにエロは要らない」という言説について - WebLab.otaに対してコメントをもらった.

制作側から見れば、谷田部勝義さんいうところの『ロボアニメ=日活ロマン』論なんでしょうね。
この議論を『ガンダムにロボットシーンは要らない。俺は人間ドラマが見たい』という風に置き換えるとエロの時よりも理解できるのではないかと思います。
(中略)
一部のエロゲー制作者もエロゲーと思って作っていなかったのではないでしょうか。

この話はそれほど珍しいものでもないし,私も何度となく聞かされてきた.が,おそらくだし,間違っていると思う.

『ロボアニメ=日活ロマン』論

『ロボアニメ=日活ロマン』論は,確かにそのとおりであろうと思う.
ガンダムに関しては,先のコメントにあるように,人間関係が中心となって物語を進める上でロボットは必要ないし,当時「ロボ出してればお金が出る」という状況があったらしいことは良く知られている.
日活ロマンポルノに関しては,ロボットアニメ同様に,ほとんどの作品が娯楽(エロ)中心なのだけれど,中には,社会構造の矛盾を抉る…社会派っぽいものや,私小説的な内面を描写しているような作品が作られたという話だ.(エロが入っていれば何やってもいいという状況だったからこそ作られた)
そして,この二つの共通点は,どちらも建前(ロボット・エロ)と本音(人間関係・社会派・私小説)が別物であるところだ.

エロゲの本音

しかし,エロゲはメッセージ・テーマ(本音)が(男女間の)人間関係や恋愛であることが多いし,「エロゲにエロは要らない」と云われる作品は特にその傾向が強い(一部,ハードなSFだったりハードなファンタジーだったりが本音になっているものもあるが).
……だったら別にエロがあったって構わないのではないか?むしろ,中高生以上(?)の男女(人間)関係でセックスが描写されないほうが不自然だろう?
少女マンガなんかは60年代から「人間(恋愛)関係をリアルに描くためにはセックスを描写するしかない!」と旗揚げして,表現の幅を広げる戦いを始めたわけなんだから(広げすぎた感はあるけれど).


少なくとも,私は,「ロボット←→人間関係」や「エロ←→社会派・私小説」ほどの差異を「エロ←→人間関係」に感じない.だからこそ

相手の女性を崇拝し愛しすぎるあまり,愛せない(セックスできない)のだ.
エリック・ゼムール ,『女になりたがる男たち』 (2008)

彼らは”ストーリーにのめり込んで”いて,”ヒロインたちを崇拝し愛しすぎて”いる.だから愛せない(抜けない)
「エロゲにエロは要らない」という言説について - WebLab.ota

という理由が必要なのだ.