「エロゲにエロは要らない」という言説について

エロゲにエロは要らないって豪語する奴いるけどさ
いたる絵じゃ抜けない、そういうことだ
(中略)
ストーリーが良くてもエロがあると萎えてしまう
勿論抜きますけどね
(中略)
正直大半のエロゲはシナリオに感情移入してエロシーンは飛ばしたくなる
(中略)
泣きゲにエロは不要。ストーリーにのめり込んでるのにセックスが始まると殺意が芽生える

先日たまたま,上記のようなエントリを見つけた.
私はこの人たちの言っていることがイマイチ解らないが(「エロが入ったら萎える」とかどれだけピュアなのか知れない!),一部にこういった気分を持っている人たちがいることは知っている.知っているけれど,やはり理解はできない.


しかし,最近たまたま読んでいる本で,こんな一説を見つけた.

欲望(とりわけ男の性欲)と愛は折り合いがわるいことはよくわかっている.この二つは相反していて,競合しあい,しばしば排除しあう.(中略)愛すれば愛するほど,愛する(セックスをする)ことはむずかしくなるのだ.相手を愛し崇拝すればするほど立たなくなる.(中略)これは「僕には美しすぎる症候群」とも呼ぶべきもので,相手の女性を崇拝し愛しすぎるあまり,愛せない(セックスできない)のだ
(中略)
だからこそ男は女を体の部分に分解し,欲望と妄想のかけらに還元しようとする.髪,胸,口,尻,腰,脚,くるぶし,どの部分でもいい.どの部分でもいいが,全体を見てはダメだ.(中略)そうして,ストッキングをはいた脚やコルセットで包んだ胸を購入可能な商品にしてしまう.
エリック・ゼムール ,『女になりたがる男たち』 (2008)

この本はオタクに関する考察ではないのだけれど(題名の通り「最近の男はオンナになってるよね」というお話),この一説によって,「エロゲにエロは要らない」と豪語する(私の理解できない)人たちの思考が説明できるのではなかろうか?と思っている.


話は簡単で,彼らは”ストーリーにのめり込んで”いて,”ヒロインたちを崇拝し愛しすぎて”いる.だから愛せない(抜けない)のだ.
そして,泣きゲーの大家であるKeyのメイン原画(?)であったいたる絵が,彼らにとって必要以上に性的な対象でない(萎えさせる)のは,彼女の描く絵が,記号(髪,胸,口,尻,腰,脚,くるぶし)として良くできていないために(部分的に購入可能な商品でないために),全体を見なければならないからではないか?