Re:むだばなし(浅いオタクについて)


むだばなし(浅いオタクについて) - 鍵っ子ブログでちょっとしたオタク論というか、最近のオタクに関する考察がなされていたのを見て、ボーっと考えていました。
考えていたのはこの部分。

というのも、私の勝手なイメージで恐縮なんだけど、オタクっていうのは圧倒的な知識量で相手を圧倒できなきゃオタクじゃないと思ってるんですよね。電車オタクならNナントカ系の電車を全部言えるとか、巨人オタクなら2軍含めて全員の背番号知ってるとか。
(中略)
それで今日このエントリを書いてるのですが、せめて普段あまり喋らない人にオタトークするなら、最低限の知識を付けてからにしてくださいと言いたいのです。

う〜ん。やっぱりオタクは圧倒的な知識量を持っていなきゃだめってのは賛成できないなぁ。*1
これを支持してしまうと「やってないからだ」とか「見てないからだ」とか「知らないからだ」という理由で、”オタクではない”と切り捨てられてしまうし、アニメの第一話・マンガ(ライトノベル)の第一巻・ゲームの冒頭を見て「面白く無かった」と評したら「全部見てないからだ」と云われてしまうし、そういった”便利な(考えなしな)否定”を肯定してしまうように思えるからだ。*2
(ひどいときは「元ネタを知らないからだ」といわれ、「作者の前作を読んでないからだ」と云われる。)
何しろ彼らにそんな”便利な否定”を与えてしまったら、どこがどう面白いのか?とか、歴史的に云ってその作品の評価はどうなるのか?とか、行われている実験性の可能性とか作品論に留まらず、演出論であったり、アニメ論・オタク論・現代思想なんかをこねくり回して理論武装をして、真に客観性を持った、妥当な評価を導き出す機会を奪ってしまう気がする。


ちょっと前、私は知識を収集することに必死になっていた時期があった。放送されているアニメは全部見て、創刊されている雑誌は手当たりしだいに読んで、マンガ喫茶に通って昔のマンガを読んだり…結構がんばっていた時期があった。(今もあんまりかわらないけど)
しかしそのときは知識を収集するだけで、知的プロセスというか、分析したり分類したりしていなかった。
その作品が発表された当時の思想的な流行や社会情勢と比較して、テーマや作者の出した答えの妥当性を考えたり、その作品が行っている実験の系譜やそれによって導き出された成果をマッピングしたりして歴史的な評価を考えたり、既存の評価(別の作品や別のジャンルなどの評価や現代思想っぽいもの)と比較してみたり、etc
そういったことをせずに機械的にノルマをこなして、学校にいって友人たちと話すだけ(それなりにディープな話をしていたけれど)…
「なんか違わないか?これって積んであるエロゲを毎日粛々とやっている奴等となんにも変わらんではないか!」
オタク学入門で云うならば”匠の眼”ってやつが欠けていたのかも知れない。そんなことを思いつめた結果「もうちょっとがんばってオタクやろうかな…」なんて考えてます。

*1:もちろん持っているに越したことは無いけれど、それだけでオタクってしてしまうと問題があるような無いような

*2:貴エントリがそういった趣旨で書かれているわけではないことは十分に承知しておりますが