アマゾンの罪 オタク達の知的興味範囲の減少

Amazon.co.jp ヘルプ: おすすめ商品について
アマゾンには「おすすめ商品」というものを表示させる機能がある。これはユーザの購入履歴やどんな商品をショッピングカートに入れたか?やクリックしたか?といったデータをサマリーして、ユーザの好みを分析し、その好みに合わせた商品をリスト化してくれる非常に便利な機能である。
この機能のおかげで我々は興味の無い商品の情報を見なくてもすむようにしてくれるし、興味のある分野で「今売れている商品」や「人気がある商品」を知ることができる。

しかし、反面、知的興味範囲外の情報と偶然に遭遇し、知的興味範囲が拡大する機会を奪ってしまっていると私は思う。
私自身、アマゾンをたまに覗くと、先ず自分の興味・関心の高い商品がリスト化されている、”おすすめ商品”に目が行ってしまい、他の情報はほとんど見ることは無い。当然だ、興味のある情報と知的興味範囲外の情報では比べるまでもないし、検索エンジンを使う時、大量に表示される情報の中から、瞬時に目的の情報を選び取る能力は一般人のそれとは比べ物にならないわけだから。

蛸壺化

私を含めたオタク達はもともと知的興味範囲が限定されて狭い。政治や経済や世間一般の流行には、全くといっていいほど興味を示さない。社会全体がポストモダン化している現在、知的興味範囲が限定されてしまう現象は、ありとあらゆる趣味集団で起こっているのだが、”ポストモダン化が最も極端に現れているオタク(動物化するポストモダンより)”では、この現象もまた極端に現れてしまっている。

彼らにアマゾンが勧める商品は、彼らの限定された知的興味範囲内にある商品だけである。
例えば、アマゾンは「ゲームの中の美少女ゲームでジャンルは泣きゲー」という限りなく狭い分野の商品しか勧めないのである。
また、私達はその限定された知的興味範囲内の情報には異常なほどの収集癖を持っているために、的確に私達の好みを分析し、上手く”おすすめ商品”としてPRできれば、どんどん類似商品を買わせることができる。*1

…確かに、この機能により、アマゾンは儲かるかもしれないが、彼ら(オタク達)にとってはどうなのだろうか?
最初に述べたように、この機能は『興味の無い商品の情報を見なくてもすむ』ようにはしてくれるかもしれないが、”知的興味範囲を拡大すること”はできなくなるのではなかろうか?
彼らは、同じような、自分の知的興味範囲内の商品以外『知ることすら』できなくなってしまうのだから。*2 *3 


こうやって考えると、今流行のパーソナライズっていうのも考え物である。(パーソナライズ(ぱーそならいず) - ITmedia エンタープライズ
アマゾンも含め、今のパーソナライズは「如何に効率よく儲けるか?」といった商業的な要求に応えるばかりであるように思える。真の意味で人の役に立つテクノロジーにするためには、「如何に効率よく知的興味を拡大させるか?」や「如何に効率よく知的成長を人に誘発させるか?」といったことまで考えていかないといけないのではなかろうか?
今のオタク達のように『蛸壺』化させて、その中から脱出できないような構造をメディア(外の世界を知らせないようなメディア造り)、市場(外に興味を向ける暇がないほどの商品を展開する)とともに構築し、大量に商品を消費させる、といったアクドイ商売はもうやめにして欲しい。


オタク達もまた、こういった閉塞された状況に満足するのではなく、小説や映画、エンターテイメント全体から自分たちの作品を評価できるように努力するべきだと思う。*4



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ウェブ情報技術の視点からオタク文化を分析・解体 第一回まとめ - WebLab.ota
参考
自分の興味に合うサイトを推薦してくれるGoogle Toolbar追加ボタン | G Mania - グーグルの便利な使い方
http://www.computerworld.jp/topics/career_up/20841-2.html
パーソナライゼーション - Wikipedia
Ad Innovator: Search

*1:彼らの多くがそうであるように、このブログを読んでいる人の中にも、”アマゾンのおすすめ商品のリストがピンク色に染まっている”という人がいるかもしれない。

*2:最近はオタクをメインターゲットとしている企業も、知的興味範囲を拡大させないためにか、消費でいないほどの商品をどんどん作り、そしてアマゾンのお勧め商品のリストに新作がどんどん追加される。

*3:彼らが作品の細かいところまで論じたがるのは、似通った商品を数多く消費しているがために、”同じような作品”同士で相対化することが重要なのかもしれない。

*4:彼らは同世代に支持された同じジャンルの作品群で、対象となる作品を相対化し評価することは得意なのだが、彼ら以外の世代からの相対化や過去・歴史という視点からの相対化、文学や小説からの相対化等が圧倒的に不得意である。後日言及しよう