涼宮ハルヒの憂鬱を肯定してみる

今までハルヒ否定派に私は居た訳ですが,10話だけは肯定しようと思う.
私がハルヒを否定していたのにはいくつかの理由があるが,大きな理由は3つある.
1:京アニが安全牌で勝負してきた点.
小説の人気も,ライトノベルから遠く離れた私にでさえ聞こえてくるほどなのだから,相当なものだろうと思うのだが,そういった人気のあるラノベ京アニがアニメ化したら,面白いに決まっているし,売れるに決まっている.商業的に成功してみようかな,という色気が見える.
2:京アニの作画がプロになってしまった点.
AIRの時は,どこを重点的に動かした方がいいのか,また止めた方が演出として優れている場面等の演出や作画の力配分ができておらず,「とりあえず全部動かしてみました!がんばりました!」という暴力的な作画って感じだったものが,
ハルヒになってから,止めるところはしっかり止めるし,一番効果があるシーンを重点的に描き込むこともできているので,手法として洗練されてしまったな〜という欠乏感がある.
3:話が遅々として進まない点
評論活字だったら高橋留美子的なユートピアとかなんとかいうのかもしれんが(個人的にはこの作品はHPだと思っている.所謂作品というよりはメディア),まぁここでは深くは言及しない.
最近こういった類の作品をよく見るが,同じところをグルグルと回っているような感じのするストーリーが個人的に好きでない点.
ふぅ・・・疲れた.
んで,10話だけは肯定する理由は3つ目が解消されているからな訳だ.
長門さんの上が意見を変え,長門さんは上とキョンとの間で揺れ動く.
これは適当にどーとでもオチつけられるからつけて,SOS団VS情報統合思念体過激派との,宇宙も時間も越えた大スペクタクルバトルアクションを展開し
最後に情報統合思念体が滅びるときに,長門に対して「そうか・・・お前が新しい進化の形なのか・・・」って台詞を吐いて終.
みたいなストーリーが頭に浮かんだからですw