同人界隈における白・グレー・黒のガイドラインを考える

はじめに

アニメーターの黒岩裕美「ハイキューのしごとだけしたい。黒子のバスケやりたくない」→炎上→IGが謝罪 - NAVER まとめ
腐女子作画監督含めアニメ業界どうなってるの? |やらおん!
あたりに触発されて書く。
なお、問題にしたいのは、黒子よりハイキュー的な話ではなく
作画監督が同人誌を出した」……んでこれが炎上しちゃったところ。

できれば、ガイドライン的なものを作りたいけど、今回は材料集め。再発防止的な何か。

何が問題なのか?

この件、ちょっと遠くから眺めていると意味がわからない。

非常識なアニメーター多すぎィ!ハイキュー腐女子作画監督が干された件含めアニメ業界どうなってるの? - NAVER まとめ
https://twitter.com/_minao_氏の発言抜粋
作品dis、未発表スタッフのお漏らし、ホモ絵を鍵なしのままUPもまずいけど、それ以上にまずいのは【作画監督】が【公式絵のまま】同人イベントで【ノベルティグッズを作ろうとした】ことだと思うんだけど
同人界隈でいままでどれだけ「これは海賊版に見えるからやめろ」って炎上してきたと思ってんの? 別に中の人がBL好きなのはいいよ でもそれは公にしていいもんじゃないでしょ 公式に近いなら尚更
アニメ版権絵は公式扱いでしょ?アニメ関連グッズ見ればわかるでしょ?なのにこの作画監督はその絵のまんまグッズ作ろうとしてたんだけど、このやばさがアニメ関係者にはわかんないのかな?
公式関係者が公式絵のまんまノベルティとして同人グッズを作成することにお咎めなしなら、これまでの「海賊版と思われる同人グッズは排除しよう」って動きは無駄だったってことですかね 公式に似せたグッズを作っても問題ないんですね へえ
こうやって炎上してても相変わらずクレジットにでる名前のまま擁護するんだからすごい 全員いま何が問題で、なんでこれが炎上してるのか分かってないってことでしょ? アニメ業界本当にどうなってんの?

この発言をしている人は超面白い。
たぶん、天才。

作画監督が同人イベントに出たらあかんやろ」……そうかも知れんが。でも厳密に言えば、同人イベント自体が黒ですよ?だからみんなヤバイところの同人書かないんじゃないか。とか
海賊版と思われる同人グッズ」ってなんだろう?どうやら、「公式に似せたグッズを作る=海賊版」らしいんだけど、
多分似せてようが何しようが、あの国のあの権利にうるさいところは何作ったって怒りにくるよ。とか
DVDを丸々コピーして売るのは海賊版DVDだし、シャネルのバッグのロゴとか真似りゃ、クオリティが低かろうが高かろうが、海賊版海賊版(見てすぐわかる程度であっても)。……海賊版と思われない同人グッズなるものは、どこで線引いているんだろう?とかね。

ただ、この人の直感的・皮膚感覚的な言語には示唆的な部分が多いように思う。

内部犯と外部版

作品dis、未発表スタッフのお漏らし、ホモ絵を鍵なしのままUPもまずいけど、それ以上にまずいのは【作画監督】が【公式絵のまま】同人イベントで【ノベルティグッズを作ろうとした】ことだと思うんだけど

私に取っては、作画監督だろうと、第三者であろうと、同人グッズ作る奴はみんな黒だと思うけど、どうやら濃淡があるらしい。
この濃淡をわかりやすく説明するならば、『内部犯と外部犯』という色分けが使える。

外患罪(売国行為を罰する法)なんかの考え方を流用すると分かりやすい。
外国が日本に対してスパイ活動したり、戦争仕掛けて来ても、いろんなルールがあって、捕虜にしたらそれなりの待遇にしなきゃならん。
でも売国行為をしたやつは、問答無用で死刑。
つまり、内部犯(裏切り行為)のほうが外部犯よりも罪が重い


ただし、上記「内部犯と外部犯」の色分けは、あまり汎用性がない。
例えば、佐藤順一監督のこんな発言。

佐藤順一 on Twitter: "僕が絵コンテの一部をアップしたりするのも厳密に言ったらアウトの可能性が高いです。許容される範囲と思いますし、お咎めがくる事はないですけど。"
僕が絵コンテの一部をアップしたりするのも厳密に言ったらアウトの可能性が高いです。許容される範囲と思いますし、お咎めがくる事はないですけど。

アニメーターが原画をコミケで売ったりするのはよくある。

上手罪

公式関係者が公式絵のまんまノベルティとして同人グッズを作成することにお咎めなしなら、これまでの「海賊版と思われる同人グッズは排除しよう」って動きは無駄だったってことですかね 公式に似せたグッズを作っても問題ないんですね へえ

公式に似せようが似てなかろうが、罪は罪だろって思うわけだが、ここにも濃淡が存在する。

松文館裁判 - Wikipedia
「蜜室」だけが特別取り上げられた理由を、検察側は裁判の中で「絵が上手すぎるから」と説明した。

このように「上手い」ことを持って罪にされることがあるからだ。

「似ている」「上手い」などの特殊技能は、持たぬ者にとって憧れの対象でもあり、畏怖すべき対象でもあるのだ。
またその特殊技能を振るうことは、振るうことの出来ない者に取っては暴力であり、恐怖なのである。


もちろんこの上手罪の色分けもまた汎用性がない。
同人界隈には死ぬほど上手い奴らがいるし、下記のような事例も存在するからである。

新世紀GPXサイバーフォーミュラ - Wikipedia
PROJECT YNPが制作している、コミックマーケットが先行販売している同人ゲームだが、初代以外の作品はサンライズ公認を取得したため。本項は正式のゲームシリーズとして扱う。


まんまは良くないけどね

http://www.sankei.com/affairs/news/141126/afr1411260055-n1.html
宮城県警によると、中村容疑者は中国から複製品を仕入れていたといい、県警はこれまでに、少なくとも延べ3千人に販売し、1800万円の売り上げがあったとみている。

エロ

別に中の人がBL好きなのはいいよ でもそれは公にしていいもんじゃないでしょ 公式に近いなら尚更

公式がエロを描いてはならない……それはどうかな。

新世紀エヴァンゲリオン エヴァと愉快な仲間たち - Wikipedia
「脱衣補完計画」モードの作画担当は鈴木俊二、高村和宏うたたねひろゆき、今井ひづる。

ああ、公式がエロ脱衣麻雀ゲーム出したよ!!エロカレンダーみたいなの買ったよ!!何が悪い!!
ガイナックスがアスカを売春させてる」とか色々言ったし、言われてたけど……
古くは「ミャアちゃん官能写真集」からある「公式がエロ描いちゃう」文化


ただし、以下のような事案もあります。

荒らしに耐えかねて同人出版断念 | レビログ (Make a little happier) 13周年+1i年
原画でイラストを書いていた作家さんが、
エロ同人誌出版

イラストレータさんのサイトにあるBBSに荒らし
<原画なのにエロ出すとは何事か!!>

新刊断念

”当然だ”と書き込み

というわけで、
T2 ART WORKSさんの新刊が落ちた模様。

結局何がダメなのか?

単品では一発アウト!即免停!なことはしてないけど、合わせ技一本でダメになった感じかな。
結局運が悪かったですね。という話ではある。
ただ、グレーを重ねあわせると黒に近づくのは確かである。

内部犯∩上手罪∩エロ≒黒

たぶん、実名でやらなければこんな事にはならなかったし
上手くなければこんなことにはならなかったし
エロで無ければこんなことには成らなかったのではないか?という推測。

平等感を大事にしよう

ここからは推論に推論を重ねるが、根本に同人界隈は「平等である」ことを重要視しているように思う。

  • 作画監督なんて知名度のある人が同人に来るなんて平等じゃない!
  • そんな上手い絵描けるなんて平等じゃない!
  • そっちのカップリングを影響力の強い人が支持するなんて平等じゃない!
  • あんなに儲けて平等じゃない!

ガイドライン

  1. 内部犯は実名は避けよう
  2. 上手い奴・才能有る奴は誠実に、慎ましやかに生きろ
  3. エロはグレー度上げるぞ
  4. 他人の褌で儲けすぎるな

お目こぼし理論

同人は権利者のお目こぼしによってグレーとなっている。
お目こぼしされている理由は色いろある。

  • ファンジンだから
  • 同人から新しい才能を見つけられるから
  • 相乗効果

でも基本的にはお目こぼしで存在しているのである。

ラブライブ!の嘘とドキュメンタリー 〜花田十輝と京極尚彦の狙い〜

ラブライブ!が10話までやって来ました。
さて今回は、ラブライブ!9話・10話を中心に、嘘やハッタリ感と、現実というかドキュメンタリー風なエピソードが入り混じった物語の面白さを語っていきたい。

スノハレ回のヤバさ

ラブライブ!2期9話の何がすごいのか - 映像の原則から読み取る -:告白Pの色々やってます - ブロマガ
公開されるなり茶番だなんだと言われたラブライブ!2期9話。

見ていない方に簡単に説明しますと、なにが茶番かと言えば
・いきなり猛吹雪の中、走っていくしかないという状況になる
・たかが学校から出るだけなのに死にそう
・とってつけたようなシリアス
などといった要素が挙げられます。

うん。
まぁ確かにすごかった9話。
暴力的な脚本に狂ったようなシーン構成。ツッコミを入れようと思ったらいくらでも入る回だったことは確かだ。
しかし、それは1期からそうだった。

虚実皮膜を行くラブライブ!

1期1話でこんなことを書いた。

ラブライブ!を花田十輝から読む - WebLab.ota
さて、そんな花田十輝からラブライブ!の1話を見るとどうだろうか?
結論から言えば、主人公たちが直面している危機(廃校)も、語られる思い出もすべて最後の歌とダンスを見せるために用意された虚構ではないか?という話。

この、「ああ、これからいったいどうすれば」「どうすれば」「どうすればいいの?」「(歌)だって可能性感じたんだ、そうだ進め。後悔したくない。目の前に僕らの道がある」のシーケンスに突然突入するところは、どっからが本当にあった話で、どっからが脚色・後日撮り直した(と思われる)シーンなのかさっぱりわからない
まさに虚実皮膜なシーンである。

1期3話のときもこんなことを書いた。

ラブライブ!はリアルじゃないところに凄さがある - WebLab.ota

徹底した嘘(虚)の先に辿り着く場所

マンガ☆ライフ |『ラブライブ』に存在する「ゆらぎ」について
しかしそもそも『ラブライブ』というコンテンツは「現実にμ'sがいる」という想定でコンテンツを展開してきている。
前述したような演出から考えると、アニメ版は「事実を元にしたドキュメンタリー風ドラマ」という創作作品で、台詞が繋がっている事や芝居がかった演技をしているのは「この作品がドキュメンタリー風ドラマである」ということを意識させるための演出であり、一話のEDで穂乃果達が踊れている事も「アイドルとしてデビューした後の三人が実際に踊っている」と考えると納得がいく。

「現実にμ'sがいる」という想定→根底の嘘
そのμ'sのドキュメンタリー風ドラマ=アニメ→嘘の嘘
アニメの物語上の日常=今の穂乃果達→嘘の嘘の日常
アニメの物語上の夢=一話のED(PV)→嘘の嘘の夢
アニメの物語上の乗り越える壁=1stライブ→嘘の嘘の現実


彼女たちは嘘(虚)の世界に生きている。しかも、1stライブの描き方、日常シーンの描き方から、自覚的に嘘(虚)の世界で生きることを強いられている。
嘘に嘘を重ね、その中でウソっぽい日常で嘘の夢を見ながら、嘘の現実に負けるのである。

このハッタリ感に対して、否定的な人ももちろんいた。

なんでみんなラブライブ!ってデタラメアニメ見てるの? 脳がスポンジなの? - 藤四郎のひつまぶし
こんなでたらめなのになんで?
この辺説明できんの?
どうやって納得してんの?
おじさんにはマジ無理だわ〜('A`)y-~

ラブライブ!を花田十輝から読む - WebLab.otaラブライブ!はリアルじゃないところに凄さがある - WebLab.otaなんかは脚本花田十輝からラブライブ!のハッタリ感や嘘について書いたけれど、
1期13話で監督京極尚彦も自信満々に嘘をつく人だということが判明した。

ラブライブ!の京極尚彦監督コンテ演出について考える - WebLab.ota
で、一番最初に引っかかるのはやはり、ラブライブ13話(京極尚彦コンテ回)のこのシーン。

どういう時間の流れで、空港から講堂のライブシーンに繋がるのかよくわからない。
(中略)
「当日いきなりの告知でこんなに人集まらないんじゃ?まして親御さん見に来てるし…ということは、かなり前から穂乃果・ことりに隠してライブの準備してたんじゃないのか?」とか
「ことりちゃんの制服はいったいどこから……一度家に帰ったのかしら?」とか
「ことりちゃんの髪型変わってるし(リボンがついてる)」とか……
ってんで、時間経過がよくわからん。無理やり考えれば理屈は付けられるんだろうけど、その理屈を説明するカットを本編では描いていない。


というか、この「時間経過がよくわからない」「居るはずのところに居ない・居るはずのないところに居る」というのが京極尚彦コンテの特徴のような気がする。

こんな感じでもともとラブライブ!って脚本の自然さとかシーンの前後のつながりとかより
面白さとか伝えたいメッセージとかを優先するような作品なんだよね。
それが、スノハレ回みたいな形で爆発することがある。
だから、いまさら「リアリティがない」とか「超展開」とか言われても、ずっとそうだったし、何を見てきたんだ?ってなるよね。
まぁ、花田十輝京極尚彦も「嘘つくとき」に、言い訳あんまりしないし、容赦がない嘘をつくし、乗り切れない人を置いていく気満々なので、着いて行くのが大変だって指摘はわからなくも無い。
私はそんなロックな姿勢が大好きなんですが。

ドキュメンタリー

まぁラブライブ!の嘘・ハッタリ部分についてはこんな感じでとりあえず置いておくとして
2期で特筆すべきは、そんな嘘・大嘘の中に散りばめられているドキュメンタリーなエピソードの数々である。


例えば、2期10話の絵馬。これは「あー見たことあるなぁ〜」って思うし、人によっては「俺が書きに行った時と一緒だ」って思うところ。

例えば、スノハレのUO演出。これは、スノハレのPVからのパロディではあるけど、ライブで毎回やってる演出でもある。
このUO演出が成功するかしないか?は、ライブ参加者が全員ハラハラしてるし、「失敗するわけにはいかない!」って決意してるところ。


例えば、2期9話の大雪。これも2014年2月8日にさいたまスーパーアリーナに行った人はドキュメンタリーに見えたはず。
「東京で大雪?降るんですよ、降ったんですよあの時は。みんな必死でライブ会場目指したんだよ」と共感さえ覚えるところ*1

例えば、2期10話の「みんなで叶える物語」もラブライブ!企画当初(電撃G'sマガジン2010年7月号)からのキャッチフレーズ。
ついにここまで来たか……と感慨深いところ。

ついでに、アニメラブライブ!の物語内時間の流れは、大体2010年〜2011年ごろの現実世界のラブライブ!というコンテンツの流れと一致してる。

(参考:ライブも近いからラブライブ!について勉強する - WebLab.ota)
これ以外にも、秋葉原の町並みとか神田明神とか聖地巡礼的な部分も多々あって、作品内のリアリティを下支えしているわけだけど
ドキュメンタリーな部分は、我々(ラブライバー)の経験・体験した時間であったり、我々(ラブライバー)も参加してあの日・あの時を一緒に感動した時間であり、タダの聖地巡礼とはひとつリアリティの質が異なる。
ある種、「俺達(の時間・経験)がアニメに映ってる!」って感動かもしれない。

ドキュメンタリーな部分の演出はラブライバー以外が見ることを拒否している

1期でも確かにPVのパロディをふんだんに散りばめてあった。
2期もスクールアイドルダイアリーからのネタとかいっぱいあった。
でも、「知らない人も楽しい、知っている人はより楽しい」ってネタだったり、演出だったりで収めていたと思う。


しかし、2期9話と10話はそーゆー次元を超越していた。
例えば、絵馬のシーン。

絵馬登場(中央図)から絵馬の内容がわかるまで(右図)6カットもかかってる。時間にして約14秒。
しかも、絵馬が登場したシーンから意味深なBGMが流れ出している。
ここからわかるのは、「絵馬が出てきた→ファンの書いた絵馬だ」が即座にわかる人間に向けて演出しているという気づき。
もうちょっと見る人に優しく演出するのであれば、絵馬の内容が写ってからBGMを変えるか、絵馬登場の1カット目から絵馬の内容がわかるような絵にすべきではないか。
また、UOの演出もラブライバー以外の人にあのシーン見せても、何が感動的なのか、泣けるのかわからんと思うんだよね。
特段、すごい作画でもないし、演出があったわけでもない。
「みんなで叶える物語」というキャッチコピーも、ラブライバー以外が見たら「あれを考えるだけで1話まるまる使ってしまうの?え?何も進んでなくない?」って成りかねない。
魔法科高校の劣等生みたいな毎回わかりやすくて、カッコイイ引きに慣れている人たちに対して、あれじゃあ訴求力無いし、来週また見ようって気にできないだろう、ということは想像に固くない。


でも、あえてそうやって演出する。
分からない人は置いていく。そんな説明をいちいち入れるのが面倒臭いし、テンポが悪くなってしまうじゃないか。
これが花田十輝の選択であり、京極尚彦の選択なのだ。
嘘・ハッタリのときと考え方が一貫してるところが面白い。

スノハレ回の特殊性

スノハレ回の「嘘」の部分については、前段で書いたとおり、1期と基本的に変わっていないと私は思っている。
でも、「ドキュメンタリー」な部分については今までと違うことをやっている気がする。
なんか、すごい勢いで加速してる感じ。今までと違って置いて行く気満々な花田十輝京極尚彦が見える感じ。
たぶん、スノハレ回を超展開とか言っている人たちは、この「全力で走りだした」ってのに皮膚感覚として気づいたんだろうなぁ〜

*1:この脚本が、ライブ前に上がっていたというのが奇跡。このへんも面白い部分ではある。花田十輝的にはこれ「嘘」「大嘘」のつもりなんだろうけど、現実がそれを追い抜いてしまったという稀有な例として記憶されることだろう。

「諦める勇気」とは?希が抱える課題を考える

ラブライブ!二期は何を語り出すのか - WebLab.otaのエントリで、希って明確な課題(乗り越える壁)って無いよねということを書いたけど、本エントリではもうちょっと掘り下げて考えてみる。

引っかかり1 「山で一番大切なのは、諦める勇気」

希ってどんな娘だろうか?何か問題があるのだろうか?って考えてると、やっぱり引っかかるのは、二期2話のこの台詞。
希は今までもμ'sメンバーにアドバイスをしてきてるけど、ここまで引っかかる発言をした記憶は無い。
この発言は、二期のμ'sの行く末を暗示しているのか、はたまた、希の考え方を提示しているのか、この発言だけではちょっとわからない。
でも何かありそう。そんな引っ掛かり。

引っかかり2 中立であり続ける希

上の発言よりは引っかかるところでは無いけれど、実はもう1点、希の行動で引っかかるところがある。
それは一期13話。穂乃果の「スクールアイドルやめる」発言をめぐるμ'sメンバー各人の考え方がわかるシーン。


希「本当にこれでよかったんかな」(左図)
エリチ「9人いないんじゃ、μ'sじゃないって言ったのは希でしょ?」
希「そうやけど……」(中央図)
ニコ「活動休止!?」(右図)

3年生3人の考え方が綺麗に分かれてる。
エリチは一人でも欠けたらダメだっていう原理主義者。
ニコは誰が欠けようが関係ない過激派。
希は中庸。
次のシーンもこの関係を象徴している。


エリチ「正直穂乃果が言い出さなくてもいずれこの問題にはぶつかっていたと思う。来年までだけど、学校が存続することになって、私達は何を目標にこれから頑張るのか」(左図)
エリチ「考えなきゃいけない時が来てたのよ」(中央図)
ニコ「あんたたちはどうするつもり?」(右図)

このシーンで上手いのは、左図で希をフレームの外に置いてるところ。
普通なら、ここはエリチと希が二人で帰ってるシーンを撮ればいいだけなのに、わざわざ希を外してる。
ってことは、ここには演出上の意味があるはずで、意味は「エリチの意見に同意していない」だと思う。
で、やっぱり、立ち止まって考えよう派なエリチと一人でもガンガン前へ進むニコ、そして中立な希……という関係を表している。

問題1 自分の意見が言えない希

この中立であり続ける希は、2つの問題を内包している。
1点目は、自分の意見が言えないという問題である。

ラブライブ!二期は何を語り出すのか - WebLab.ota
また、この娘は海未のように穂乃果に自身の夢を預けたわけではなく、「占い」に夢や希望を代弁させている。
※ この「占い」がどの程度希の本心を反映しているのかよくわからないが……
しかし、一体何故彼女は「占い」という皮を被り、自身の言葉で夢や希望を語ろうとしないのかは不明だし、もしかしたら、絵里と同じように「自分の言葉で語らない」ことによって、何かから身を守っているのだろうか?

なんて書いたことがあるけれど、希は自分の意見を「占い」という形で語る傾向にある。


この占いについては、スクールアイドルダイアリーでこんな書き方がされている。

ラブライブ! School idol diary ~東條希~
ラブライブ! School idol diary ~東條希~
「ウチ、占い得意なん。試してみる?」
たいがい、わーきゃー言う歓声がいっせいに返ってきて、ウチは一瞬で新しい輪の中に入ることができる。
これは転校を繰り返すうちに身についた、ウチのちょっとした処世術やんな。
(中略)
そんでも−−−やっぱり新参者やから。
ふっとエアポケットに入ってしもたみたいに、周りが真空になるときがあるねん。

いや、この本2日前に買ったんだけど、驚いたね。
なるほど、希にとって占いは新しい環境に馴染むためのインタフェースで、そのインタフェースに依存しすぎた結果、真の友達と呼べる人が出来なかった……というタイプの娘なんだね。
μ'sの母の以外な事実。
でも、これは乗り越えるべき壁だね。

問題2 母として中庸であるのはいいが、自分で危険なところに踏み出せない希


μ'sの母として迷える子羊を導いてきた希。
でも、占いを捨てて、小細工なしで人の輪の中に入っていけない臆病な希。
ニコや覚醒後のエリチのように自分の考えをはっきり言うことができない希。


たぶん、「山で一番大切なのは、諦める勇気」って発言は、この母として中庸である希と臆病な希を象徴する言葉なんだろうと今は思っている。
果たしてこれは希の課題として噴出することがあるのだろうか?
でも、占いに頼らない希ってのはいいなぁ〜かっこいいと思うよ、俺は。

A-RISEとウインク

とりあえず、3話を死ぬほど繰り返し見てたら気になったのでメモ

ウインクしすぎ


UTXの画面に写ってからツバサ本人登場までのシーケンス。
英玲奈がウインクしてて、その後、あんじゅがウインクして、ツバサがウインクする。
おいおい。全員が律儀にウインクしたぞ。
こりゃなんかあるなって思って見てたら、ライブパートで異常にウインクしてる。

たぶん、A-RISEのライブパートの内、5割以上のカットでウインクしてんじゃないか?
っと思ってカット数数えたら、A-RISEのライブパートで観客とかが映っているシーンをカウントしない場合、31カットかな?
内、14カットでウインクしてらっしゃる。すげえ多い。
(二期3話 コンテ演出は京極尚彦、ライブパート演出で京極尚彦、臼井文明)

一期のA-RISE

一期ってどうだったっけ?と思って見返したが、そんなにウインクしてないね。
全くしてないわけじゃないが。

右目=英玲奈、左目=ツバサ、両目=あんじゅ?

という、ウインクできる目(右目・左目・両目)っていう設定があるかな〜と思って検証したが、そーでもないね。


上の画像内で計測すると……(全部のカットで検証してないから微妙だけど)
ツバサはやたらウインクしてるカットあるけど、大体左目を閉じている。
全ウインクカット(何?ウインクカットって)中、1カットだけ右でウインクしている。(1/12)
英玲奈も大方右目だけど、1カットだけ左目でウインクしている。(1/3)
あんじゅは多いのは左目、でも2カットは右目でウインクしている。(2/5)


あー……そんなに好きか?ラブライブ!が、俺は。

ラブライブ!と10人目のμ'sというテーマ

一期3話(1stライブ)とは違う物語を語るんだ!と明言してきたラブライブ!二期3話。


この「一期と違う物語を語る」って意思表示は、ラブライブ!1期のころからちょいちょい使ってきてた「もしドラ」なんかで持て囃されたマネジメント理論とかリーダシップ論的なものからも読み取れると思っている。
二期3話でもそーゆー香りがするよねってことで、その辺について書く。

A-RISE「ステークホルダーとしての観客を忘れてるわよ(キリッ)」

ラブライブ!二期は何を語り出すのか - WebLab.ota
一期では、(1) 「廃校を食い止めるため」の手段として集団(組織)を創り、 (2) 目標を失った後、何を根拠とした集団(組織)であるか?を明確にした(アイドルを続けたい集団(組織)という定義)。
二期では、(3) アイドルを続けたい集団(組織)を、集団(組織)として維持するための目標(9人で残せる最高の結果を目指す事)を決定した。

と書いたけど、「組織を組織として維持するための目標」を二期1話の段階では

ラブライブ!二期は何を語り出すのか - WebLab.ota
「この9人でラブライブ!に出られるのは今回しかないのよ」(絵里)
「9人で頑張った足跡を残したい」(花陽)
「だって可能性感じたんだ そうだ進め 後悔したくない 目の前に 僕らの道がある」(μ's)

こんな感じで穂乃果たちは、μ'sのことしか考えてない。


二期2話でもμ'sのことしか考えてないことを強調している。

「まったく、こんな三年生のために曲考える方の身にもなってよ」(真姫)
「曲はいつも、どんなときも、全員のためにあるのよ」(ニコ)
(※ この「全員」が観客を含めているか微妙なところ。話の流れでは、間違いなく「9人」を指しているのだが、ある種のミスリードだとも考えられる。というのも、ニコはμ'sの中で一番「観客」を意識しているし、いつも「ファンに夢の様な時間を提供することがアイドルである」と論じているから)
「だって9人も居るんだよ。誰かが立ち止まれば、誰かがひっぱる。誰かが疲れたら、誰かが背中を押す。」(穂乃果)
(確かに、そう思ってラブライブ!一期を振り返ると、一期の物語では「ファン」って存在感が無いことに気づく)


で、こんなμ'sに対して、二期3話でA-RISEが「私達はただ純粋に今この時一番お客さんを喜ばせる存在でありたい、ただそれだけ。」と宣戦布告。

もしドラでも、確か、「そうか、観客もステークホルダーだ!」って気づくシーンがあったと記憶しているが、このシーンはまさにそれ。


そして、さらに3話後半で、今まで応援してきてくれたファンが登場する。しかも、「μ's、ミュージック〜」の途中で乱入してくるのも意図的。

これは、μ'sは今までだって9人じゃなかったし、これからも9人じゃないこと。10人目(ファン)がいるよって言っている。
ここまで物語にちゃんと織り交ぜて、演出してくるのが「もしドラ」と違うところ。上手いところ。
どー考えても、最後「1、2、3、・・・、9、10(ファン含めて全員で)!!」ってやる布石。

OPから見るファン(10人目のμ's)


(二期)

(一期)
こんな感じで二期は明らかに観客を意識している。みんなで、学園祭のノリで作ったような舞台。
一期と較べて明らかに「ファン」がμ'sたちの後ろで支えている感じがする。
こーやって見ると、ラブライブの製作陣は、「ラブライブ!一期では何を語らなかったか?二期では何を語るべきなのか?」を真剣に考えて二期作ってるんだろうなぁ〜って思う。

ライブと10人目のμ's

3rdライブ(アニメ一期放送後のライブ)では、ファンが勝手に「「1、2、3、・・・、9」の後に「10!!」って入れてたけど
(つまり3rdライブのときはアニメ同様、「10人目のμ's」を意識してない)
4thライブ(2014/2)の時は「10!!」を入れるような演出してた。
そうやって、「10人目のμ's」という一期で語っていなかったテーマを実際のライブを経て発見し、二期の物語に取り込んでいる


そして、ここまで美しく積み上がっているのを、脚本家花田十輝がいつ壊しに来るのかってのも含めて先が楽しみです。本当に。
(最近、花田十輝だけでなく、監督京極尚彦もクレイジーな人だなって思うようになってきてるので、京極さんがブレイクしに来るのかも……と期待してしまう。ビクンビクン)

ラブライブ!二期は何を語り出すのか

待望の二期がすでに2話まで放送された。
二期への期待と今の私の気分をとりあえず出力していく。

挫折・蹉跌から立ち上がる物語(一期)とその残課題

二期で何を語るのか?を考える前に、まず一期について振り返り、やり残した部分は何か?を整理したい。


一期の物語は、簡単に言って「挫折・蹉跌から立ち上がる物語」であったように思う。
学校は入学希望者が減って廃校という危機にあったが、μ'sによって救われた。
穂乃果は自身の身勝手な行動や盲目さを悔やみ、「アイドルをやめる(ジョーで言うところのドサ回り)」が最終的に立ち上がった。

凛は幼少のころの些細な一言によって人前で女の子らしい服装をすることが出来なかったが、μ'sに入ったことをきっかけにして自信を取り戻した。

花陽は恥ずかしがり屋な性格を変える勇気を得た。

真姫は親の期待を背負い、自分に素直になることを忘れていた。
※ 二期の2話で「サンタクロースを未だに信じている」ことが露呈したが、この娘は親の言うことを素直に受け止めてしまう傾向があるようだ。

絵里は幼いころの蹉跌により、自分の意志で夢を追うことに対して消極的であったが、克服した。
※ 希は「エリチが頑張るのはいつも誰かのためばっかり」と指摘しているところから、絵里は「誰かの夢」に乗っかることで、仮に失敗しても自分は傷つかないようにしていた。

にこは一度アイドルグループを結成し、失敗した経験がある。

ことりは穂乃果や海未に着いて行くしかない己を変えようと努力する。


このように一期では各人いろいろな壁を乗り越えてきた。
しかし、ここまでで以下のような疑問が生じる。

  1. 海未・希の挫折・蹉跌は何だったのか?
  2. 真姫、絵里、ことりは自身の蹉跌・挫折を乗り越えられたのか?
1. 海未・希の挫折・蹉跌は何だったのか?

海未はことりのように「人に着いて行くしかない己を変えよう」という命題はない。
むしろ、積極的に穂乃果を崇拝し、自身で考えたり、変わろうとしたりすることを放棄しているように思える。
「ですが、穂乃果は連れて行ってくれるんです。私やことりでは勇気がなくて行けないようなすごいところに」

そーゆー意味で、海未の挫折・蹉跌は、穂乃果に出会い、自分が「穂乃果に勝てないことを悟った時点」ということになり、その後、自身の力で立ち上がるのではなく、穂乃果のスリップストリームに付くことを選択している。
ただし、こうやって自分の才について受け止め、卑屈になるのではなく、ありのままを認めるというのは、一つの命題ではある
分かりやすい「乗り越える壁」という形ではないけれど(卒業後、穂乃果の後ろに居られなくなった時にどうするのか?ってのは分かりやすい課題だけど)。
※ 一期3話で「恥ずかしがり屋の海未」という課題が存在したが、個人的にこれは壁としては機能していないと思っている。


次に、希は物語上、μ'sメンバーを教え、導く母のような役割を担っているが、分かりやすい自身の課題(乗り越えるべき壁)が明示されていない点で海未と共通している(すでに蹉跌を乗り越えた者を体現しているのかも知れないが)。
また、この娘は海未のように穂乃果に自身の夢を預けたわけではなく、「占い」に夢や希望を代弁させている。
※ この「占い」がどの程度希の本心を反映しているのかよくわからないが……
しかし、一体何故彼女は「占い」という皮を被り、自身の言葉で夢や希望を語ろうとしないのかは不明だし、もしかしたら、絵里と同じように「自分の言葉で語らない」ことによって、何かから身を守っているのだろうか?

2. 真姫、絵里、ことりは自身の蹉跌・挫折を乗り越えられたのか?

これもこれで問題のように思う。
真姫はちゃんと親と話して、「医者じゃなくてアイドルがやりたい」と告げたのか?(真姫がどの程度アイドルに本気なのかよくわからないので、未だに医者になるつもりなのかも知れんけど。というか、「アイドルになること」が真姫の本当の夢なのか?ピアニストとかそーゆーのではないのか?)
絵里はバレエをやりたいんじゃないのか?とりあえず手の届く簡単に達成可能な目標(アイドルになる)を選択しているのでは無いのか?
※ 絵里は一期13話にて「穂乃果に教えてもらったの、変わることを恐れないで突き進む勇気」と言っているので、バレエどうのこうのという話では無く、「恐れて逃げること」を克服できれば、目標は何でも良いのかも知れないが。
ことりは「穂乃果や海未に着いて行くだけの自分が嫌だ」と言っているが、穂乃果の意見に対してYESウーマン過ぎないか?
などなど、一期ではこれらの問題に決着をつけていないように思う。

一期と二期のμ'sの物語について(目の前にある課題と自分たちで設定する目標)

上記では、μ'sメンバー個人個人の問題に焦点を当てたが、もうちょっと俯瞰してμ'sという組織の課題や物語について書く。


一期の物語の課題は初め、「廃校を食い止める」ことであった。
そのためにμ'sを結成し、曲を作り、ラブライブへの参加を夢見た。
しかし、「廃校を食い止める」という課題は物語半ばで解決されてしまった。ラブライブへの参加という目標も失ってしまった。
課題や目標が無くなったところで出てきた命題が「何故アイドルを続けるのか?」という問いである。
これを彼女たちは、自分たちの気持ちを再認識することで団結した。
「学校のためとかラブライブのためとかじゃなく、私好きなの、歌うのが」(一期13話穂乃果)
「連れて行ってください。私達の知らない世界へ」(一期13話海未)
「アイドルが大好きなの」(一期13話にこ)

そして、二期1話では「アイドルを続けたい集団(μ's)」が「何を目標に活動を続けるか?」が課題として語られた。
アイドルを続けたい集団(組織)が、何を目標にして集団(組織)を維持し続けるか?と言っても良い。


これに対して、穂乃果以外のμ'sメンバーは、安易に「ラブライブに出場すること」を目標に設定しようとしたところ、
穂乃果が、Aパートのラストで「ラブライブに出場すること」は目標では無く手段だよね?何が目標なのかちゃんと考えようと提案している。
この提案をナチュラルにできるところが穂乃果のマネジメント能力たけぇ〜って思うところである。(参考:ラブライブの穂乃果ちゃんに学ぶ『マネジメント』 - WebLab.ota)
「この9人でラブライブ!に出られるのは今回しかないのよ」(絵里)
「9人で頑張った足跡を残したい」(花陽)
「だって可能性感じたんだ そうだ進め 後悔したくない 目の前に 僕らの道がある」(μ's)
※ 多分μ'sが会社になったら、これが社訓とかになるね

(これでOPに繋がるのとか上手すぎる。OPの歌詞はまさにこのテーマについて歌っている)


流れを整理するとこんな感じ。
一期では、(1) 「廃校を食い止めるため」の手段として集団(組織)を創り、 (2) 目標を失った後、何を根拠とした集団(組織)であるか?を明確にした(アイドルを続けたい集団(組織)という定義)。
二期では、(3) アイドルを続けたい集団(組織)を、集団(組織)として維持するための目標(9人で残せる最高の結果を目指す事)を決定した。

これからについて

この自分たちの課題を自分たちで設定して乗り越えるって物語は、そのまま、上で書いたμ'sメンバー各人の残課題と直結するように思う。
自分たちの夢とか未来とか将来とかってそうやって設定するものだし。


力強く成長していく彼女たちを見たい。

ラブライブ!3rdライブという物語

すげーよかった、ラブライブ!μ’s 3rd Anniversary LoveLive!。
私は、会場の三階という席だったが、そんなに遠くなかったし、俯瞰から見る絵ってたぶんライブDVDとかになったら拝めないものだろうから必死こいて目に焼き付けてた。
ということで、感想を書いていく。

久保ユリカの物語

まず最初の自己紹介の部分。
「誰か助けてーーー!!」「ちょっとまっててー」の掛け合いが成立した。これだけで私はちょっと感動してた。


実は、この掛け合い、ラブライブシークレットイベント(2013/3/10)で初披露したのだが、その時は成立しなかった。
「誰か助けてーーー!!」「うぉおぉおおおお!!!」って具合になったらしい。
しかちゃん曰く「トラウマ」だとか(ラブライブ! μ's広報部 ~にこりんぱな~ 第11回 - ニコニコ動画)。
まぁ、アニメ化してラジオの視聴者が増えていたとは云え、まだまだ浸透していなかった。
で、今回の3rdライブ前のラジオで、「今回成立しなかったら封印する」と言っていた(ラブライブ! μ's広報部 ~にこりんぱな~ 第20回 - ニコニコ動画)。
いや〜ほんと、成功してよかったね。しかちゃん。
しかちゃんが、大成功したのに驚いて、ちょっとうるっときてたように見えたのは俺の錯覚では無いはずだ。

南條愛乃の物語

ナンジョルノが泣いた。しかも、MC途中で。
ナンジョルノが言うべき台本部分で感極まって泣いていた。それをフォローする空丸という絵も感動した。
しかし、やっぱナンジョルノが泣いたってのはポイント高い。


彼女のラブライブでの立ち位置は、最年長でキャリアもそこそこあるので、座長的なポジションである。
だから1stライブのアニメ化の告知も彼女がやっていたし、ライブDVDで見る限り、落ち着いていて、周りの娘たちのフォローをしたりと支える役目を負っていた。
彼女はそーいった立ち位置に居ることが多く(これは彼女の性格・資質なのだろうと思うが)、じょしらくなんかでもそんな立場だった。
クールでおしゃれでみんなに頼られるお姉さま。
それが彼女の姿だった。


しかし、そんな彼女が一番最初に目立つところで泣いてしまった。


後に語ってくれたニューイヤーライブを欠席したときの思い。
今回の3rdライブの練習で、一人だけ出遅れていることに対するプレッシャー(他のメンバーはニューイヤーライブで踊ってるから振り付けを知っているが、自分は一から練習しなくてはならないという状況)。
そういったことに重圧に耐え、座長として頑張ろうとしていた彼女。
泣いてしまった後、一生懸命、気丈に振舞おうとしていた姿も素敵だった。

涙という物語

上述したナンジョルノが涙してしまったのを境として全員が次々に泣き出す様は、誰かがシナリオを書いたのではなかろうか?と疑うほどであった。
パイル様は「みんな私が泣かないと思ってるんでしょ」みたいなことを言いながら泣いていた。
ニューイヤーライブはまだ映像化されていないので分からないが、ファーストライブでは確かに泣いていなかった(こういうからには、ニューイヤーライブでも泣いてないんだろう)。
うっちーは照れくさいのを隠そうと毒吐きながら泣いてた。
でも彼女が一番ライブビューイングで見ていた観客のことを思っていたし、彼女が「ラブライバーに対しての感謝」を上手く言葉に出来なくて、もどかしくなっているのも痛いほど分かったし、伝わってた。
そんなうっちーの涙は本当に美しかった。


前回の記事で

つかこいつらほとんどが純粋な声優志望じゃないんだよな。この夢敗れて、違う夢を追うことになった若い娘たちって物語も熱いよなー。もともと声優ってそーゆー人たちの受け皿として機能している部分もあって、その挫折と成功の物語がたくさんある。
で、そーゆー成功ばっかりじゃない人。声優が「目指した本当の成功の姿」じゃないかもしれないけど、応援する側がそれを全力で肯定する。で、そのうち自信だったり、夢が声優になったりする。ラブライブの娘たちに、「声優になって本当によかった。」そう思わせることが出来る瞬間。その瞬間に立ち会うのが楽しみ。とりあえず、3rd、4thライブあたりで、彼女たちの想像を超えるステージに立たせてあげること。それが物語ってもんだろう。
ライブも近いからラブライブ!について勉強する - WebLab.ota

なんてことを書いたけど、私は立ち会えたんじゃないかな?って思う。「声優になって本当によかった。」って思わせることの出来た瞬間に。

シンデレラ・ストーリー

空丸が「1stシングルをコミケで家族に10枚売った」とか黎明期の話をし
くっすんがアニメ化が決まったときも、みんなに「誰だ、こいつ」って思われているんじゃないかって不安だった心境を話し
えみつんが「ニューイヤーライブのときも、アニメのときも『ここが私のピークだ』って思った」と語ってた。


でも、まだまだ先がある。次はVITAを救うし、さいたまスーパーアリーナ2daysを埋めて(37000*2)、そしてアニメ第二期。
μ's ミュージックスタート!